U 宇宙のメカニズムを理解する
 
 9. 量子力学
  みなさんも私も「存在」する。生まれた時からずっと「存在」しているので誰も不思議には思わない。前述したように、この宇宙には二つの意味で存在するものがある。一つは「宇宙の時空の中で特定の一点を占めて存在するもの」(A存在とする)でこれは感覚器官によって捉えることができる。いわば、全く普通に存在しているものだ。あなたも私も目の前に広がるすべての風景を構築する様々なモノがこれにあたる。二つ目は「A存在に影響を与えることが確実であるという理由で存在するもの」(B存在とする)であり、これが「力」であり、重力などがこれにあたる。これは感覚器官で直接捉えることはできない。電磁波(光)もこれにあたるがこれも、感覚器官で直接捉えることはできない。もし、「力」を感覚器官で直接捉えることができれば、それは「波」として振舞っているので、「波」が見えることになる。だが、そんなものは誰も見たことがない。波を波として捉える器官は生物のどこにもないのである。
 @私たちがこの宇宙の中で感覚器官が捉えるものの中身は全てA存在である。
 AそしてA存在はB存在によって組み立てられていて、A存在の変化は全てB存在によって生じている。
 BA存在もB存在も素粒子に還元できる。A存在の元になる素粒子はフェルミオン、B存在の素粒子はボソンと
  呼ばれている。
 Cフェルミオンは「シュレディンガー方程式」に従って運動しており、「シュレディンガー方程式」は
  「波動方程式」である。
 Dボソンは、「マクスウェル方程式」に従って運動しており、「マクスウェル方程式」は「波動方程式」である。

 というわけで、今では素粒子は全て本来は波として振舞っているものだ。だから話がややこしくなる。昔の人が物質の根源を探そうとしたとき、誰も「波」として振舞うものがその根源だとは思わなかったはずだ。なぜなら、そんなものは世界の中にほとんどないからだ。ほとんどすべてのものは、ちゃんとそこにあって、触れることができるものだ。どこにあるかもはっきりしない「波」のようなもので世界ができているとは誰も考えたりはしないではないか。力の粒子であるボソンは構わない。なぜなら、それはいつでも今の今でも波として振舞っているからだ。力の一つである「光」は電磁波と呼ばれる波の一種であり、光には波として振舞うものの特徴である「干渉」や「回折」の現象があるが、これは小学生レベルの実験でもすぐに観察できる。それに、昔から「力」という言葉は概念だけしかなく実体のないものであったから、力が直接見えないことにも違和感はない。今でも重力は誰にも見えていない。そして、誰でもが重力によって地球に引っ張られているとは思っていても、「万有引力の法則」というルールに自分自身が従っているとは誰も思っていない。これらのことから、力が波であるのは全然構わないのだ。だが、A存在の元になる素粒子、つまりフェルミオンと呼ばれる物質粒子の方までも、波として振舞っていることは大問題だ。なぜなら、私は波として振舞っていないし、エネルギーが移動する媒質として波として振舞っているものならあるが、自ら波として振舞っている「存在」などこの世界の中に何一つないからだ。だから、話はややこしいというのだ。量子力学によって発見されたこの奇妙な事実によって、物質粒子までも本来は波として振舞っているものであることになった。すべての物質は粒子性と波動性を合わせ持つ、というのが量子論的事実である。では粒子性と波動性を併せ持つものとは一体どんなものか? そんなもんは知らん。物理学者さえ知らないのに、私が知っているわけがない。「ものそのもの」とはそういうものだと、思っておいていただきたい。
 私たち人間が観察する限り、世界のほとんどはA存在=「宇宙の時空の中で特定の一点を占めて存在するもの」でできているようなので、とにもかくにも本来波として振舞っているものでも、一点に存在することになってもらわないことには普通の「存在」は出来上がらないし、世界は出来上がらない。そこで物理学者は、この「とにもかくにも」のところを、「波の収縮」ということにしてしまった。それは「観測」することで波は収縮し、一点に収まるのだ、と。物質粒子が従っていたシュレディンガー方程式という波動関数は、「観測」した途端に、役目を終えたのかどうか消えてなくなってしまい、あとには観測したので粒子となって一点に存在するものが残るというのだ。そして、その粒子がどこに残るか(出現するか)は確率的にしかわからない。シュレディンガー方程式によって表現される波は、「存在確率の波」と呼ばれ、粒子がどの場所にどれぐらいの確率で存在するかを表す波だという。そして、シュレディンガー方程式に適切な初期値とパラメーターを放り込んで計算すると、その粒子が波として振舞う軌道がわかる。原子の中にある電子の軌道はこうやって理解されて、メンデレーエフの周期律表の根拠が、そしてあらかたの化学現象のメカニズムの理解が格段に進んだのである。
 観測というのはおぞましいほど人間的な言葉なので、私は「観測」という言葉の代わりに「関係性の確保」という言葉を使うことにしている。「関係性の確保」とは、何でもいいから「お互いに影響を与えることが確実であるというつながり」があることを言う。また「つながり」を見つけたのだから、関係性の全くないことを意味する「他者」ではないことに気づくこと、でもある。物質の場合は相互作用することが「関係性の確保」である。
 物質の波動性の側面はミクロの物質になればなるほど強くなり、素粒子だけでなく、素粒子を部分として持つ陽子や中性子、さらには原子や分子までも波動性を持っていることが確認されている。私たち人間も波動性を持っているらしいのだが、確認出来るほどの波動の揺れではないらしい。
 さて、シュレディンガー方程式だが、この方程式は、数ある物理法則の中でも極めて精度の高い方程式だと言われている。精度の高い方程式とは、理論と実験による実測値のあいだの誤差が極めて小さいということだ。だが、シュレディンガー方程式はそれほど精度の高い方程式なのに、未だにその式が表す本当の意味というものが誰にも分かっていない。シュレディンガー方程式には、計算をやりやすくするために「虚数」というあくまで「数学」の中にだけにある「数」が導入されている。もし、虚数を導入しないでシュレディンガー方程式を解こうとすると、非常に困難であるらしく、ほとんど解けないと言ってもいいらしい。だから、計算のしやすさという人間的事情で導入した虚数なのだが、本当にそれだけの意味しかないのか、と疑いを持つ物理学者も多い。虚数とは自乗してマイナスになる数のことだが、こんなものを使って表される現実とは本当にどんなものなのだろうか? マックスウェル方程式は、同じ波動方程式でも虚数なんてものは使っていない。ひょっとすると、私たちの見ている世界は本当に「虚像」の世界かもしれない。そして私たちには全く見えない「光」に代表される「力」の世界こそ「実像」の世界なのかもしれない。何故ならその世界にはこの世界を作り出すルールがあるのだから。

 てなことを書くと、神秘主義者と勘違いされても困るので、次の話題に移ることにしよう。シュレディンガー方程式に代表される量子力学だが、量子力学にはもう一つ大事な法則がある。それが「不確定性原理」というハイゼンベルグ博士が見つけ出したルールだ。「不確定性原理」とは、共益関係にある二つの物理量が、同時には確定できないというルールだ。どちらか一方をはっきりと知ろうとすると、どちらか一方ははっきりとはわからない、というのが「不確定性原理」である。物質の位置と運動量というのは、同時にははっきりとわからない。物質の持つエネルギーと速度というのは同時にははっきりとわからない、などなど。いろいろな物理量と呼ばれるものに対して、同時にははっきりとはわからないものが存在するというものである。しかし、大事なのは、この原理によって無限大が存在することだと私は思っている。詳しい説明をするととんでもないことになるので省略するが、この原理のおかげで重力の担い手であるグラビトンと電磁気力の担い手であるフォトン(光子)の伝達距離が無限大になること、ここが大事なことなのだと私は思っている。無限大の到達距離とは、何を意味するのか? それは、この宇宙の中で影響を及ぼすことが確実なものどうしのあいだでは、グラビトンやフォトンが担う関係性の中にある「律」のルールである「万有引力の法則」と「クーロンの法則」が敷設されるということである。素粒子のところで述べたように、この宇宙にある四つの力は全て関係性の中にあるルールである「律」を敷設する。だが、四つの力のうちの二つ「強い力(担い手はグルーオン)」と「弱い力(担い手はWとZのボゾン)」はその到達距離が極端に短い。それは原子核程度の距離しか届かないのだ。とはいえ、これら二つのルールの担い手は、安定した原子核を作ることに十分に貢献している。それは、世界を安定した物質で構築する為に必要なことなのだから、十分に機能している。だが、到達距離が短いために、原子以上の大きな物体の構築には関わることができない。それを担っているのが重力と電磁気力である。安定した原子をまとめて分子を構築するのも、私たちのような生物構造を構築するのもそれは電磁気力の仕事である。そして、重力は、天体構造というものを作る。重力は電磁気力に比べて20桁も小さな力だが、「塵も積もれば山となる」を地で行く力であって、見事に星星や銀河を作り上げる。それもこれも、その力の到達距離が無限大だからであり、その無限大を許しているルールが「不確定性原理」というわけだ。「不確定性原理」というのはとても人為的な匂いのするルールで、それは観測精度の問題であるとか、量子が普遍的に持つ性質のこととかと、様々に取りざたされている。私はどっちゃでもいいけど、とにかくこのルールのおかげでとても広い範囲に関係性の中にある「律」というルール、万有引力の法則やクーロンの法則が敷設されることを好ましく思うのだ。重力は無限大の到達距離を持ち、(速度による事象の地平線はあるけれども)それゆえ非常に広範囲にある多くの星星や銀河は、お互いの間で万有引力の法則を遵守する間柄であり、すべてがつながっているということになっている。だから、多くの星星とつながって(「関係性の確保」はされて)、太陽や地球があるということが私は大好きだ。天文学的数量の星星や銀河と同じルールを順守することでつながり合って、敷設されたルールの中でルール違反を行わずに、ちゃんと宇宙のルールを守っている太陽や地球が存在するということ、そのルールの中で太陽や地球が生まれたということ、それがとても素敵に思える。神秘主義者が、近々地球がワープして、太陽系とは違う星系の惑星になるなんて書いているのを読むと、私は虫唾が走るのである。重力によるルールの網の目は確固とした「全体的」なもので、その中で、たかが人類が目覚めただけの理由で惑星の移動などあってなるものかと思うのである。そんなことをすれば太陽系の重力バランスはどうなるのだ? 月はどうなる? 木星はどうなる? また移動した先の重力バランスはどうなるのだ? アホか! この宇宙にあるものは全て、重力と電磁気力の到達距離が無限大であることで、多くの星や銀河はつながり合い、そのルールの中で生まれてくるのだ。天の川銀河の中で、天の川銀河にあるすべての星星と、銀河の中心にある巨大なブラックホールが作る重力のルールの中で、そのルールに従い生まれてきたのが太陽系だ。この宇宙にある存在は星だけではなくすべての存在は、「ルール」の中で、「ルールを遵守したもの」だけが生まれてくるようになっているのだ。

 さて、量子力学はまともに勉強すればするほど、常識は覆されるし、疑問は山ほどあふれるし、その上いつまでたってもよく分からいのだから、全くいけ好かない学問である。でも、量子力学を学んで非常に心を揺さぶられる事実が一つある。それは「現象以前」あるいは「プレ現象」という状態が世界には多く存在すると言うことだ。物理学者の言葉を借りると私たちが観測する以前の粒子は、みな「現象以前」という状態で待機している。その状態は「波」であり、何の現象も起こしてはいない。そして私たちが観測した途端に、それは「粒子化」して現象となり物事の変化や運動を見て取れる、と言うことだ。「現象以前」なんて誰もあるとは思っていない。世界の全ては「現象」で構築されているのが、普通の人間の世界だ。だが、私と物理学者は、世界が「現象」で構築されていること自体は他の人と変わりがないが、「観測」する、あるいは私の言葉で言うと「関係性の確保」がなされるまで、「現象」は「現象以前」として待機していることを知っている。そして、誰でもに同じように起こると思われている「現象」が実は、個々の人間との関係性によって人ごとに変化することもまた知っているのである。待機している「プレ現象」は同じでも、誰がどのようにそのプレ現象と関わりを持つかで、実際に起こった「現象」そのものが違ってくることを誰もご存知ではない。私と物理学者だけが、どんな現象が起きるか? 「それは『関係性』によって決まる」ことだということを知っているのだ。
 top   up   next  back   
 
2013  all right reserved by Naniwa no Tetsugakusha