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 T 私たちがそこに住まいするフィールドとして宇宙を理解する
 
 3.この宇宙のメカニズムを知って、この宇宙の出来具合いを評価する。
  私は、この「宇宙」というフィールドをとてもよく出来たフィールドだと思っている。とてもよく考えられた、所謂「理」に適ったフィールドだと思っている。もし、この「宇宙」というフィールドそのものの出来が良くなければ、そこに生まれたものは全て苦労することになって、ゴーダマのように早いとこ、生まれることのない境遇、すなわち「解脱」に至りたいと思うのも当然だ。しかしながら、私の探求したところでは、この宇宙はほとんど完璧にできている。(たった一つだけだが欠点があるが.....)余りに良く出来たフィールドなので、涙が溢れ出そうになるぐらいだ。私は無神論者なので、「神」という言葉を使うのはあまり好きではないが、この宇宙が「神」によって作られたとするならば、「神」はまさに智慧において第一人者だろうし、人格においても第一人者であることに間違いはない。素晴らしい才能と素晴らしい「徳」の持ち主でないと、こんなフィールドは作れないだろうから。
 とはいえ、私一人がこの宇宙は本当に良く出来ているなどと言っても所詮戯言に過ぎないだろう。人間ならば誰でもが物事の出来不出来ぐらいは評価できるのだから、ここは一つ一人一人ご自身で評価して欲しいと思う。宇宙という全体を評価するなどということは、それに較べて無に等しい人間にはとても大それたことだと思われるかもしれないし、信仰をお持ちならば、人ごときには不可能なことか、偉大なる神への冒涜だと思われるかもしれない。しかし、私たちはそこに住まいしているのだし、そこからは逃れられないのだし、永遠の住人としては当然のことだとも言えるのではないか。とはいえ、評価したところで気に入らなくても変更はできないし、この宇宙からは逃れる術もないのではあるが。
 また、全く別の言い方をすると、私たちはしょっちゅう宇宙を評価しているとも言える。自然の中の風景や生き物たちを見て、あるいは肉眼で見える星空や巨大な望遠鏡が捉える数多ある天体現象の壮大さを見て、また人が作る芸術作品などの創造を見たり聴いたりして、私たちは「美しい」とか「素晴らしい」とか、感嘆の声を漏らす。宇宙はすべてを含むすべてなのだから、それは、まさに宇宙を評価していることになるのだが、いかんせん、それは表面的なことだけを評価しているに過ぎないのかもしれない。美しいもの、すばらしいものにはそれを生み出すメカニズムというものがある。宇宙が本来的に持っているメカニズムが素晴らしいものだからこそ、それによって生まれたものが美しくもあり素晴らしいのだ。宇宙が作り出す「存在」とそれらによって引き起こされる「現象」には、実に精巧なメカニズムが秘められている。その精巧なメカニズムは、直接的には捉えることができないのだが、私たち人間には生来的に備わっているある能力を思う存分発揮すると、それを捉えることができる。その能力こそ「理性」だ。

 私は、神秘主義者でも宗教家でもなければ、ニューエイジと呼ばれる人たちの部類でもない。私は筋金入りの「科学主義者」である。とはいえ、私の目指すところは、宇宙を理解することだけではなく、良き人間になることでもあった。人は夢や希望を持つ生き物だ。私の希望は「死ぬ直前にその人生でもっとも良き人間になっていること」だ。誰も持たない馬鹿げた希望だが、私にとっては一生をかけて真剣に取り組んでいるものだ。だから、私はそのために必要な知識の獲得についても物理学の理解と並行して進めて来た。真剣に良き人間になりたいと願う人(未だにたったの一人もそういう人に会ったことはないのだが)ならば、誰でもが最初に手をつけるのは宗教や神秘主義、古代中国や古代ギリシャの思想家たちの知識であろう。私の探求も確かにそこから始まったわけなのだが、残念なことに何年頑張っても皆目理解できなかった。物理学と同様20年頑張った今でも良くはわからないのだ。誰のどの知識が正しいのやらわからないし、断片的な知識をどう合わせれば理解できるほどに体系化できるのかもわからなかった。どうやら、宗教的知識や神秘主義的知識は信仰の対象とはなっても、理解の対象としてはいけないらしく、結局それらの知識は博識の一つにはなったものの、「良き人間」については皆目わからないままなのだ。賢者ソクラテスは「徳を磨け」と言った。だから、「徳」とは何で、どうやったら磨くことができるのか、それを知りたかったのだが、わからないままだということだ。信仰を持つ人には申し訳ないのだが、理解できないことを信じるということが私にはできない。それゆえ、私は信仰も持つことができないまま、宗教や神秘の世界は今でも探求の対象ではあるがそれだけだ。そんな私なのだが、物理学には私の求めていたものが全てそこにあるように思っている。物理学によって「宇宙」を知った私は、そこにふさわしい存在になることこそ、良き人間になることだと思っている。そして、何のことはない、良き人間になるのに必要なのは人間なら誰にでも備わっている「理性」を活用し、「理性」に導かれて生きることだけだということに気づいたのである。物理学者ならずとも自然科学に携わる科学者には、強靭な「理性」がある。人間の「理性」は科学を進歩させるのに、あるいは「宇宙」をより深く知るのには欠かせない強力な道具なのだ。科学には有効な「理性」という道具が、こと人間のこと(道徳や倫理のこと、あるいは精神や心や意志のこと、あるいは宗教や神秘主義的世界のこと)には携われなかった。それは、人間ごときの理性が「神」の領域には及ばないと言う、全く根拠のない理屈がまかり通っていたからだと思うし、また宇宙を理解した今ならば「理性」を持つがゆえに複雑怪奇なものになってしまった人間世界というものを、科学が直接扱うには少し無理があっただろうとも思っている。しかしながら、強靭な理性を持つ物理学者はたかが人間の「理性」によってのみ構築された「数学」という「ルールの整合性」だけを重視したものを道具として用いて、「星の世界」のあらかたを理解してしまった。これは事実なのだ。だから人間理性は「宇宙」には通用する。「星の世界」には通用するのである。もちろん、人間理性が「星の世界」を理解できるほどであっても、それよりもはるかに複雑である「生物の世界」を理解するようになるにはまだまだ時間が掛かるかもしれない。それに、人間は「霊的な生き物」であるらしいから、「霊的」な領域に理性が通用するのかどうかもわからない。だが、私ははっきりと告白する。私は、物理学の中に人として必要な「徳」を見つけて、その磨き方を理解したと。また、物理学が私に「より良き人間」になる方法と、歩むべき道を教えてくれた、と。
 物理学は星の世界を形作るメカニズムを理解し、星の世界で起こる現象のメカニズムを理解する学問だ。星の世界のことのあらかたは物理学が教えてくれる。そして星の世界の上で住まいする私たち生き物についても、多くのことについて示唆を与える。だから、私は物理学を理解しようと勤めて、物理学が探求の対象とする宇宙の、その全体像をイメージできるようになった時に、それがとても素晴らしいメカニズムで構築されていると思った。星を作り星を動かすメカニズムをとても素晴らしいと思ったのである。だから私は星を見習い、星のルールに従って生きてゆくことを心に決めた。だが、それは私のことであって、みなさんがどう思われるかは私にはわからない。だからみなさんにも一度この「宇宙」というフィールドを理解し、評価してみてもらいたいと思うのだ。そして、その上で、今自分自身が行っていること、この地球という星の上で私たち人間が行っていることをあらためて検討してみて欲しいし、「私たちの行為が、この宇宙にふさわしいものであるかどうか?」ということについて考えてもらいたいと思うのだ。
 次の章では、私が物理学を通して知った星の世界のメカニズムのすばらしさを伝えようと思う。そして、その星の世界の上に生まれた私たち「生き物」の世界にも多少目を向けて、「宇宙」という全体を理解して欲しい。この作業を行うのにみなさんに必要な道具はただ一つ「理性」だけだ。大丈夫「理性」はこの星の人間なら誰でもが持っている。 言語を話し、算数を理解出来る人なら誰でも十分に持っているのだ。そして最後にみなさん自身の「理性」でもってこの宇宙について「評価」してみていただきたい。もし、あなたの理性が私と同じものならば、余りに「理」に適ったこの宇宙の持つメカニズムのあり方に大喜びすると思う。そして、こんな素晴らしいメカニズムを持ったこの「宇宙」というフィールドの中で、自分たちがどんなに大きな誤解をしていたかについて気づいてくれることを、私は願っている。
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