U 宇宙のメカニズムを理解する
 
 6. 「力」と「ルール」の微妙な関係
  私たちは、「機械的」という言葉をよく使う。私たちの周りにあるごく普通にある機械たちは、携帯電話も液晶テレビも今私の目の前で動いているパソコンも、ヘアードライヤーも、妻の愛車のプジョーも私の愛車の日産ラルゴも、機械という機械はみんな「機械的に」動いてくれる。何でこんなに機械というやつは、私たちの意図するままに、まさに「機械的に」動いてくれるのだろうか? だが、もうお分かりだと思う。今までの話の中で、この答えは既に書いてある。「物質には、力のルールに従う性質が備わっていて(慣性の法則)、力はルールに従ってのみ物質を動かすから」、である。「力」はベクトル量だから、「大きさ」と「方向」という二つの要素で出来ている。だから、私たちは、力加減と力を加える方向について適切であれば、物質は私たちの思うがままに動かせると言うわけだ。ゴルフをする人もボウリングをする人も、球を打ったり投げたりする力加減と方向さえ間違えなければ、みんなホールインワンとストライクだ。風の強さや芝目の複雑さや地面の起伏、レーンのオイル加減や球の回転なんかも考慮にいれなくてはいけないが、とにかく最終的に「この方向にこれぐらいの力で」というのがわかって、その通り打ったり投げたりできれば、きっといい結果になるはずなのだ。力加減は同じなのに、毎度毎度ボールの飛距離や速度が違うなんてことはない。決まった方向に打っているのに、打つたびに飛んでゆく方向が違う、なんてこともない。物質は力のルールに従ってくれるのだから、適切な方向に適切な力加減で力を加えれば、その結果は自分の意図する通りの結果になる。これは、とっても単純なことだ。物質というものはただ単に「力」を加えれば、ルールによって制限された状態である「秩序」を与えることができるのだから。
 ただ「力」を加えるだけで「秩序」を与えることができる、これが物質のいいところで、私たちは、これを最大限利用して生きてきた。いつもと同じようにいつもと同じことが起きるのは、いつもと同じ方向にいつもと同じ力加減で力が働いているからで、それで世の中のうち「物質的なモノの世界」はいつもいつも決まったことが起こるようになっている。太陽や月や星たち星辰の運行というものが規則正しいのも、彼らが物質であり、重力と電磁気力をはじめとする四つの力が、ルール通りにモノを組立てルール通りにモノを動かしているからにほかならない。また私たちの周りには、電磁気力で動く機械である「電化製品」や内燃期間と呼ばれる「エンジン」で動くものが山ほどある。電磁気力は「同じ電荷(プラスとプラス、マイナスとマイナス)なら、斥力として働き、異なる電荷(プラスとマイナス)なら引力として働くので、モノが動く方向は決まっている。だから、加える電気力の大きささえ加減してやれば、その大きさに応じて物質は意のままに動かせるというわけだ。またエンジンは爆発力の大きさ(内部の圧力や温度)を加減すると、それに応じた力を生み出せる。この原理を使ってガソリンエンジン車は走り、ディーゼル機関車は動いているのである。
 実のところ、私たちのいるこの世界のほとんどのモノの運動や変化には電磁気力が使われている。私たちの身体も電磁気力で動いているし、私たちがモノを持ち上げたり移動したりするのも電磁気力を使っている。ビリヤードの玉をキューで突くと走り出すが、これも電磁気力によりものだ。とはいえ、クーロンの法則やガウスの法則なんてものを考えなくても、物理学者は「原子や分子の数がアボガドロ数程度の物体」については、ニュートン博士の「運動の法則」やアインシュタイン博士の「相対性理論」というルールを利用して、その「運動」や「変化」については考えることにしている。まぁ、私たちの見る普段の世界の中では、地表面に落下する物体の運動(重力によるもの)と、原子力発電所の中で起こっている核物質の反応(強い力と弱い力によるもの)とを除けば、ほとんどすべてが電磁気力によって引き起こされた現象(「運動」や「変化」)だと思ってもらって構わない。電磁気力の担い手は「光」だから、この世界のほとんど全てが「光」のなせる技だと考えて良い。だからM78星雲にあるウルトラマンの故郷も「光の国」だが、ここ地球にある世界もまさに「光の国」なのだ。
 前項で述べたように、「光」は影響があるものどうしのあいだでルールを敷設するものであった。だから、「光」は「力」でもあるし、「ルール」でもある。物理法則が機能するのは、「物質には、力のルールに従う性質が備わっていて(慣性の法則)、力はルールに従ってのみ物質を動かすから」なのだが、では「力」と「ルール」の関係はどうなのであろうか? 結論から言うと物質に対してはただ単に「力」を加えることは「ルール」で制限することと同じことだと言うことだ。「ルール」とは基本的に「制限する」ものであり、「制限される」ことで、「規則性」や「一貫性」などが生まれてくる。そうして、そういう特徴のあるものを、私たちは「秩序あるもの」と呼んでいて、物質の場合は、ただ単に力を加えることをすると、物質の運動や変化はルールによって制限されて、秩序あるものになる。こんな単純なメカニズムだからこそ、宇宙は「コスモス」(秩序あるもの)と呼ばれているのだ。力を加えればただそれだけで「秩序」という「安定」や「安全」や「安心」の元になる状態を創出できるメカニズムを持っているのがこの宇宙というわけだ。
 力を加えるだけ? ただそれだけ? それだけで、本当に「秩序」ある状態を構築できる? そう、物質ならば簡単にできる。さぁて、物理学者に頼んでとんでもなく強力な磁石を用意してもらって、私たちの目の前に置いてもらうことにしよう。そしたら何が起こるであろうか? 私たちの体が引き寄せられる? えぇ何も起こらないって? そう、その通り、生物のカラダは全体としては電気的に中性なので、私たちには何も起こらない。ただちょっと、ヘモグロビンの中の鉄分には影響を与えているけど。(何の変化も無いのであれば、ピップエレキバンは詐欺になるが、磁気は血流には影響を与えるという理由でああいうものがあるのでしょうから、きっと血液には影響を与えるのだろう。)私たち生き物はなんともなくて、生き物由来のもの、例えば木で出来た家具や木と牛の革で出来たソファーも綿やシルクでできた洋服も、それに土で出来た陶磁器なんかはなんともなってない。だけども、近くにある電化製品はえらいことになってる!! 金属製品はえらいことになってる! 軽いものの中には磁石に引き寄せられてくっついているモノもあるし、テレビの画像は歪み、リモコンは誤作動し、スピーカーから流れてくる音さえ何か変だ! 冷蔵庫やエアコンのモーターも、いつもとは違う音を立てて動いているし、携帯電話も使えないし、あ〜う〜、これってどうなってるの!電化製品の多くは金属の中でも磁性体と呼ばれる磁気に対して敏感に反応するものが使われているものが多いので、とんでもなく大きな影響を受けているのだ。だから、電化製品の中には機能しなくなったもの、要するに私たちが「壊れた」と思うものもある。だが、電化製品はみんなルールに従った変化を起こしているだけなのだ。人が意図する機能は壊滅的だけれども、だからと言って電化製品がルール違反を犯しているわけではない。強力な磁石の大きな磁力のルールに従って変化したら、人が意図する機能は損なわれたというだけなのだ。力はルールに従って適切にモノを組立てモノを変化させるが、力はルールに従ってモノを壊し、あられもない方向に変化させることもある、が全てはルールに従ったものであることは間違いない。ビルの爆破解体をする業者さんは、どれぐらいの力をどの場所にどの方向に加えたらビルがうまく壊れるかを計算して、ダイナマイトの量を決めビルの解体を行う。モノを壊すのにもルールがきちんと作用しているからできることだ。そして、力は常に「秩序」をもたらすものだから、どんなことが起ころうとも、全ては「秩序」ある変化しか起こってはいない。モノが壊れたとしても、それは全て「秩序」ある状態への変化であることに間違いはない。だが、私たちの感覚では、モノが壊れるというのは「out of order」(故障=秩序からの逸脱)という風に捉える。それは人間が勝手に決めた「秩序」からの逸脱という意味であって、「自然の秩序」からの逸脱ではないということだ。自然のルール(とりわけ物理法則)は法則性を有しているのだから、それは全時間全空間において作用する。特別な時空などはないのだから、どんな状況でも物理法則は絶対的に作用していて、どんなモノの運動や変化についても完全に制限を加えているのだから、「秩序ある状況」以外は作ることができないわけだ。全てのモノは「ルール」に従って組み立てられて、「ルール」に従って壊れる、それは取りも直さず、全てのモノは「力」によって組み立てられ「力」によって壊れるということでもある。はかない気もするが、それがこの宇宙のルールなのだから仕方がない。
 さて、ここで理解して欲しいことを整理しておく。
 @「力」を加えるというとても単純なことは、実は「ルール」によって「自由」を制限することになって、
   それはモノの「運動」や「変化」にルールに従った制限を加えるということになる。
 A物質にとって「力」を加えられることは「ルール」によって制限されることと同じであり、
   「力」=「ルール」が成り立ち、力の大きさによってルールの拘束力(自由の束縛力)は大きくなる。
 B「自由」を「ルール」によって制限されたものは、「秩序あるもの」と呼ばれる。
 C物質の場合は、ただ「力」を加えるだけで、「秩序」が与えられるから、物質で成り立っているこの世界
  は基本的に「秩序あるモノ」で構成され、「秩序ある現象」が創出されている。それゆえこの宇宙は
  「コスモス」(秩序)と呼ばれている。
 D上記のことは「物質的」な側面が強ければ強いほど、正しいことであると思われる。だが、「生物的」な
   側面が強くなればなるほど、上記のような単純さはずっと弱くなってしまう。


 
最後に意味深なことを書いた。生物は「力」によっては「ルール」の制限を受けないのだが、それは次章で説明することにする。 
 top   up   next  back   
 
2013  all right reserved by Naniwa no Tetsugakusha