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 U 宇宙のメカニズムを理解する
 
 6. 「自由」と「秩序」と「エントロピー(無秩序さ)」
  「エントロピー」、あぁ、なんと耳慣れない(ちょっとその中身を知ると)なんと耳障りな言葉なのだろうか! 「無秩序さ」だと!この宇宙は「コスモス」(秩序)と呼ばれ、私たち人間はこの宇宙のそこここにある「秩序正しさ」を美しいと感じ、自然が作り上げるよりもっと「秩序あるもの」を創造することをずっと生業にしてきたというのに!
 
 突然だが、ここでは「エントロピー」(無秩序さ)を理解して欲しいと思う。エントロピーという言葉自体、物理に興味のない人には何のことだかさっぱりわからないと思うのだが、エントロピーは「熱力学」や「統計力学」と呼ばれる物理学の分野では頻繁に目にして、耳にする言葉なのだ。この言葉の持つ意味あいは「無秩序さ」とか「でたらめさ」を測るものさしみたいなものなのだが、この宇宙のどこにも「無秩序なもの」も「でたらめなもの」もない。宇宙にある存在は全てルールに従って構築された「構造」と呼ばれるものだけだし、宇宙で起こる現象はルールに従って起こるものだけなので、その全てに「秩序」は見いだせる。なのに、「無秩序さ」と「でたらめさ」のものさしがあるのは実に不思議なことなのだが、このメカニズムは理解してみると実にユニークなものなので、ちょっと知ってもらおうと思う。
 このエントロピーにも「法則」(ルール)がある。「無秩序さ」にもルールがあるというのだから、のっけからもしろいことになりそうだろう? 「エントロピーの増大則」というのがそれなのだが、要するにこの宇宙では時間とともに「無秩序さ」は増大する傾向にあるというものだ。だとすると、私がこれまで言ってきたこととは矛盾するようにも思える。が、実はそうではない、「秩序」が増せば増すほど、失うものがあることを、このエントロピーは教えてくれるのだ。
 エントロピーについて理解してもらうためにまずは「エネルギー」というものについて簡単に説明しておこう。「エネルギー」という言葉は「省エネ」の影響で、一般の人のあいだでも年々頻繁に使われだした言葉の一つだ。だが、「エネルギー」という言葉が指し示すものが何かについては誰もご存知ではない。一般の人だけが知らないのではなく、実は物理学者も知らないのだからそう心配することはない。「エネルギー」とは元々実体のない観念的なものを指し示す言葉であって、他の物理学用語である「力」だとか「熱」と大差はない。前にも書いたが、とにかく物理学の世界の中には実体のない概念だけのものを指し示す言葉が山ほどある。心理学者も「心」とか「意識」だとか、実体のない観念だけのものを表す言葉をたくさん使うが、多分物理学者の方がそういう言葉はたくさん使っている。ただ、そのほとんどを「概念量」として「量的」に捉えているところが心理学者と違うところなのだが。話がそれた。元に戻して、「エネルギー」は確かに実体のない概念だけの言葉なのだが、物理学ではエネルギーを一応このように定義している。それは「仕事や熱の原因」であるものだと言うことだ。実は「エネルギー」の量を物理学的に表現するときに用いる単位は「cal(カロリー)」や「J(ジュール)」なのだが、これは「熱」と「仕事」の量の単位だ。つまりは、「エネルギー」の量を直接表す単位と言うものはないのだが、エネルギーが形を変えたものであろうとされている「熱」や「仕事」の単位を用いることで、エネルギーの量を表しているのだ。だが実際には、「熱」も「仕事」も「エネルギー」が形を変えたものではない。人間の感覚的には「熱」も「仕事」もエネルギーによって為された(あるいは引き起こされた)現象のように思うのだが、これはエネルギーが伝達して行くときの「経路」の名前であって、エネルギーが熱や仕事に変わったわけではないのだ。そんなことがあれば、エネルギーは熱や仕事に変わった分だけ減っていくから、「熱力学第一法則」(エネルギー保存則)=「エネルギーの総量は変化しない」というルールが成立しなくなってしまう。
 次に、そのエネルギーが移動するときの経路(あるいは手段)の名称である「熱」と「仕事」について理解しよう。まずは「熱」と「仕事」の違いとは何だろうか? とても簡単に言えば、「熱」とは無秩序で相関のないばらばらな原子や分子の運動を介してエネルギーが移動することであり、「仕事」とは一貫性のある規則正しい運動を介してエネルギーが移動することを言うのだ。そして「熱」は「無秩序」を「仕事」は「秩序」を世界にもたらすものなのだが、何かに対して仕事がなされたのなら、仕事の原因は「力」が働いたということになる。なぜそうなるかというと、仕事をなすには「力」が働かねばならず、力が働いたのならな、それは「仕事」がなされたということにしておこう、と物理学者が決めたからだ。何か騙されているみたいなのだが。 (今は単純に理解してもらうために、そういうことにしておく。)
 そして、この「エネルギー」「熱」「仕事」という三つの言葉を理解するのに、それぞれにある一見して関連性のない法則を一つにまとめ上げるのが「エントロピー」という言葉であり「エントロピーの法則」なのだ。
 私は「エントロピー」を「無秩序さを表すものさし」であると述べた。しかし、この「エントロピー」という言葉自体が表現するものの奥行きは深く、実際には一言で言えるものではなくて、それは「(エネルギーの)損なった価値を表す指標」であるとも、「(エネルギーの)拡散の度合いを表す指標」であるとも「仕事の価値を表す指標」であるとも言える。
 そして「エントロピーの法則」とは
 @この宇宙が、大局的に(あるいは全体としては)「無秩序」に向かって突き進んでいること 
 A「秩序」のあることが必然的にはほとんど実現不可能なほど非常に特別な状態であること
 Bわずかな秩序を構築するためには、その他のところではより多くの無秩序が放出されなければならない
  こと
 を、表している。 
 私は、この宇宙の存在は全て「秩序あるもの」でできていると述べた。宇宙が秩序あるものの集まりであるのに、なぜ、宇宙はその逆の「無秩序」へと向かっているのだろうか? それは「エントロピーの増大則」のBによって、秩序あるものを作り上げるそのかたわらではより多くの無秩序を放出しなくてはならないからなのだが、放出しているのは「無秩序」ではなく、「自由」なのだ、と思えば辻褄が合う。
 一体誰の自由なのか? それは「全体」として振舞っているものの「自由」ではなく、捨てているのは「全体」の「部分」であるものの「自由」だ
 「自由」という言葉を使ったからといって哲学者が扱うような観念的な意味の「自由」だとは今は思わないで欲しい。もちろん、次章では物質が本質的に持っている「自由」と私たち人間の「自由」との相関については論じるつもりだ。なぜなら、「たかがモノの学問」である物理学を理解することで、より良く理解できるのは他ならぬ「人間」だからで、それが私の主題でもある。だから、それはたっぷりと後でやろう。でも今は、あくまで物質の「自由」であって、その自由にはきちんとした起源がある。
 元々素粒子の全てはエネルギーを持っている。質量を持っていない素粒子はある(例えば光子のように)が、エネルギーを持っていない素粒子はない。そして、宇宙が開闢した時には宇宙は超高温高圧で、全ての素粒子はみんな膨大なエネルギーを持っていた。この時の素粒子は自分自身のエネルギーが最大の状態にあったから、四つの力という関係性のあるもののあいだに「律」を敷設する「力」の素粒子の束縛力よりも物質粒子の持つエネルギーの方が大きくて、力は物質を捉えられないでいた。だから、より大きな全体へと組み立てることも、その運動に制限を加えることも何もできない。それが宇宙が冷えるにつれて(宇宙が膨張するとその内部は冷えてゆく、全素粒子がエネルギーを空間に放出する)力の粒子による制限を受け付けるぐらいに物質粒子のエネルギーが下がっていった。そして、ついには「力の粒子」の持つエネルギーが物質粒子の持つエネルギーを上回り、ルールによる制限を受け入れて、自らがルールによって制限を受けた「部分」となってより大きな「全体」である陽子や中性子、そして原子を構築していったのだ。 何でもいいが、「何か」が複数あって、それらがみんな「同一のルール」で制限を受けることで「部分」となって構築しているのが「全体」である。「何か」は、制限を受けたのだから、制限された分だけ「放出」したものがあるはずだ。それが「エントロピー(無秩序さ)」であり「自由」なのである。「部分」であるものは「自由」を放出することで「全体」のルールを受け入れるのである。だから、今は「全体」のルールを受け入れるほどにエネルギー(自由の根源)の低い物質ばかりが宇宙にあって、それで星や生き物を作っているのだ。物体にエネルギーを加えると、物体はより小さなものへと、いわば、ルールによって組み立てられる以前の状態、より自由な状態に戻ってしまう。エネルギーを加えれば加えるほど、すべての物体はより小さなモノへ、制限を受けないものへと、つまり素粒子へと戻ってゆく。とは言え、これはあくまで「物理学的」な話であって、普通の人はエネルギーを加えると、モノが壊れるからより小さな部分になると思うはずだ。だがそうではないのだ。エネルギーを加えると、「部分」としてあるものが、ルールによる制限を受けない状態へと戻ってしまうので「全体」は壊れてしまうのである。
 
 さて、宇宙にあるものは全て、元々は「最大限のエネルギー」「最大限の自由」を手にしていたというか、そういう状態にあったわけだ。そして、宇宙が冷えることで大部分のエネルギーは宇宙空間へと放出されて、今は比較的おとなしい(開闢時に比べれば、比べもものにならないほどエネルギーの小さな)物質だけで、今の宇宙の存在は構築されている。とは言え、今の物質の中にも「自由エネルギー」というエネルギーが残っている。この自由エネルギーが、今の宇宙に変化や運動をもたらす唯一のエネルギー源であり、全ての宇宙で起こる「現象」を担っている。物質の中にある「自由エネルギー」はその名前の通り、「自由」なエネルギーだ。「自由」とは全く制限を受けないことであり、制限を与える方法は「ルール」を守ってもらうか「遮蔽」するとかするしかないわけだ。そこで、「自由エネルギー」のうちルールを守ってもらえたエネルギーは「力」として作用して「仕事」をして制限を受けた「現象」、つまり「秩序ある現象」を創出する。他方、ルールを守ってもらえなかった方の「自由エネルギー」は「熱」として、(ルールによる制限を受けていないのだから、当然のごとく)無秩序な振る舞いをにする。「自由エネルギー」は、ルールを守って仕事をするか、ルールを守らず熱として無秩序な振る舞いをするか、どちらかなのだ。だがここでも、その関係を規定するルールは存在する。それが熱力学の第二法則で、全ての自由エネルギーを「仕事」にまわすことはできないというものだ。エネルギーの全てを「秩序ある現象」を引き起こす「仕事」として使えればそんな良いことはない。だが、それはルールによって禁止されている。これも先ほど述べたことと同じなのである。ルールを守ることとは「制限される」ことなのだ。だからどうしたって制限された分「放出」するものがあるのである。それが「自由」であり「無秩序」なものなので、どうやったって、無秩序なエネルギーが発散してしまうのである。現実的には「仕事」をするエネルギーよりも「熱」となる無秩序なエネルギーの方が多くなるようだ。これは実にもったいない話だから、そこで、人間はルールを守ってもらえなかったこのエネルギーを何とか利用できないかと考えた。それが内燃機関や蒸気機関などの外燃機関なのだ。ここでは、無秩序な熱に制限を与え秩序をもたらし「仕事」をさせるための方法として「遮蔽」を用いている。「遮蔽」とは、物理的な壁ででたらめな運動をする熱の通り道を整えてやることだ。ご存知のように、この方法で「熱」から「力」を取り出し「仕事」をさせることができるのは、知的生物である人間だけであり、それも近代になってからようやく使えるようになったシステムだ。今では、内燃機関や外燃機関で動くものがあっちこっちにあるので、誰もなんとも思わないようだが、この内燃機関の発明というのはものすごいことなのだ。なぜなら、それまでこのシステムを組み込まれている宇宙の存在はたった一つしかなかった。それが「生き物」で、「生き物」はそれ自体にこのシステムを持ち、このシステムで動いている。それゆえ、内燃機関が発明される以前は牛や馬などの家畜に「仕事」をさせていたのだ。「生き物」のすることは全て「力」を使った「仕事」であり、「生き物」はこの宇宙における「秩序生産システム」なのだが、それも「熱効率」や「仕事率」と呼ばれる効率のすこぶる良い内燃機関なのである。
 物質の中にある「自由エネルギー」は、宇宙で起こるすべての現象の源であり、それは、極微の「素粒子」のレベルに起源がある。そんな小さなもの一つ一つにあるエネルギーを集めてそれを利用することで、星や銀河という大きな「存在」も作られ、私たち「生き物」も作られ、その運動や変化である「現象」が生じている。宇宙にあるすべての存在は「構造」と呼ばれる「秩序あるもの」だし、宇宙で起こるすべての現象も「秩序ある現象」なのだが、その傍らで、「熱」という概念量なので私たち人間には見えない「エントロピー(無秩序なもの)」が創られた「秩序」以上に放出されているのである。たくさんある「自由」のうち、ルールによって制限され、それゆえ「秩序あるもの」であり、宇宙の役に立つ「自由」はほんのわずかだということだ。カオス(混沌)の淵は、いつでも私たちの目の前にあって、隙があればわたちたちを引きずり込もうと構えている。コスモス(秩序・宇宙)を維持し、その進化が途中で滞ることがないように慎重にルールを見極めて生きてゆくのが、私たち人間と呼ばれる「宇宙の理性的存在者」の役目のようにも思う。
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