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 V 番外編
 
 3. 「般若心経」の物理学的解釈
 「寄らしむべし、知らしむべ駆らず」なんてクソ喰らえ!
 
というわけで、物理学を学び「理性」でもって宇宙を見切った私が「般若心経」をご説明申し上げることにしよう。別段むつかしいことなど何にもないよ。

 

  觀自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。
 舍利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。
 舍利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不淨不摯s減。
 是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界。乃至無意識界。
 無無明。亦無無明盡。乃至無老死。亦無老死盡。無苦集滅道。無智亦無得。
 以無所得故。菩提薩?。依般若波羅蜜多故。心無?礙。無?礙故。無有恐怖。遠離顛倒夢想。究竟涅槃。
 三世諸佛。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。
 故知般若波羅蜜多。是大神咒。是大明咒是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。真實不?故。
 ?般若波羅蜜多咒即?咒曰
 ?帝?帝 般羅?帝 般羅僧?帝菩提僧莎訶
 般若波羅蜜多心經 (「?」は字が出てこない。まぁ本文はどこにでもあるから、ご自分で確認してください。)

 通訳:観自在菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ菩薩)が深遠な「真実智」の完成を目指して、深く行を行って
     いたその時、物質的現象には5つの要素があることを悟った。
     そしてまた物質的現象は全て「空」であると悟ったのである。

     (この悟りによって、人間から一切の苦厄が取り除かれた。この部分は玄奘さんの書き込みらしい)

     シャーリプトラよ、物質的現象は全て「空」である。「空」は全て物質的現象である。物質的現象の
     構成要素である 「受」(感覚)、「想」(表象)、「行」(意志)、「識」(知識)もまた「空」である。

     シャーリプトラよ、物質的現象で構成されるこの世界は全て「空」であり、(「空」だからこそ、)
     生じるということもなく、滅するということもなく、汚れることもなく、汚れを洗い落とすこともなく、
     増すということも、減るということもないのである。

     世界が「空」であることを知ったならば、物資的現象というものは無いし、他の四つの構成要素も無いし、
     感覚器官というものも無いし、感覚器官が捉える対象もない。目が捉える世界から意識が捉える世界
     まで、そういうものが何にも無い。

     だからこそ、「無知」である事もなく、また「無知」が無くなることもない。老いたり死んだりすることもなけ
     れば、老いたり死んだりすることが無くなることもない。苦を取り払う方法も無ければ、知恵を得ることも
     ない。得るものなど何もないのである。

     求道者はこの悟りによって、その心は安寧し、何かに因われるということがない。心が何かに囚われると
     いうことがないから気が動転したり、具にもつかない夢想にふけることもなあいのである。
     それゆえ、悟りにいたる。

     三界の佛はみな、この教えを知っているから、いつも最高の境地の中にいるのである。
     だから、この教えは最も尊い、最も偉大な、並ぶもののない最高の教えである。
     そしてこの教えは一切の苦厄を取り除く、真実智なのである。

     さぁ、修行僧たちよ、修行に励め、修行に励め、どこまでもどこまでも修行に励め。
     これが最高の真実智である。

  とまぁ、わかりやすく通訳するとこんなもんだ。別に難しいことが書いてあるわけでもない。要するにこの物質現象でできている世界を作っているものの本当の姿である「空」を理解すれば事足りるというわけで、全ては「空」がどんなものであるかが分かれば良いのである。

 それでは「空」について教えてあげよう。

 @「空」とは、どんな制限も全く受けていないものである。
 A「空」とは、どんな制限も全く受けていないが故に、「完全に自由」であるものである。
 B「空」とは「完全に自由」であるがゆえに、「完全に無秩序(完全なカオス)」なものである。
     以上

 これと同じものをこの世界の中に探すことはできない。なぜなら、制限を受けていないものなどこの世界には何一つないからだ。どんなものでも「物理法則」という「ルール」によってに制限を受けているから、こんな条件を満たすものは一つもないのである。でも、一つだけ確実にこれと同じようなものを推測することはできる。それはこの宇宙の「全体」である。宇宙は全体としては、「他者」を持っていない。「宇宙は有限だが境界はない」(アインシュタイン博士の言葉)のだが、一応内部にいる私たちにしてみれば、その境界は全て「事象の地平線」とよばれる境界になっている。「事象の地平線」とは(例え他者がいるとしても)他者との関係性が一切ないので、影響を受けるようなこともなく、情報のやりとりもできない境界線のことだ。この境界線によって囲まれた宇宙の全体には「他者」がいない。「他者」がいない全体としての宇宙だけが上記の条件にあてはまる。だから、宇宙は全体としては「空」なのだ。そして「空」だからこそ、宇宙は全体としては「存在」していないし、何の「現象」も引き起こしてはいないのである。

 みなさんは、宇宙が存在していると思っている。私やあなたが存在しているように、星や銀河が存在しているように。みなさんは宇宙では現象が次々に起こっていると思っている。私やみなさんがものを考え、星が瞬くように。だが、これは宇宙の内部に部分としてあるものだけの話であって、宇宙は全体としては存在していないし、どんな現象も引き起こしてもいない。存在はしていないは何の現象も引き起こしていないのだから、そんなものに始まりもなければ終わりもないし、老いることもなければ死ぬこともない、知恵を得ることもなければ、全く何にもないのである。そして、実は私もみなさんも本当はこの宇宙という全体と同じものなのだ。一つだけ違うのは、私やみなさんには「他者」がいるから、「ルール」とか「遮蔽」とか「淘汰」とかによって制限を受けなければならない。そして何によってでも制限を受けることが「存在」と「現象」の始まりなのだ。私たちを含む宇宙にある存在はみな制限を受けることで、自由を減らしてその代わり秩序を増やしているのである。

 みなさんは、自分の形がどうやって作られたかご存知であろうか? みなさんの体を構成する物質はみんな物理法則というルールによって制限を受けているので物理法則によって作られた。そして生き物としての体だが、これは「淘汰」という制限を受けて作られた。生物は「淘汰」という制限を受けるから、生き物の形は自分勝手には決められない。どの生き物の形や大きさ、重さ、そして習性や本能と呼ばれる種ごとに固有なルールでさえもみんな「淘汰」という制限を受けて出来上がったものだ。ただし「淘汰」によって制限するには長い時間がかかるが。物質であれば物理法則によって、生き物であれば物理法則、化学法則、生物法則、そして「淘汰」、社会のルールなどなどによる制限を受けなければならないのである。この宇宙に存在する全てのものは、「他者」がいるというとても単純な理由で「制限」を受けなくてはならないのである。
 ついでに言っておこう。私たちの世界の物質的現象を引き起こしている全てのものは、みんな元は「空」であり、全く同じものだから、お忘れなきように。上下関係も力関係もそんなものは一切なくて、全ての存在は完全に平等の価値を有しているからね。それから、物理法則も何もかんも「ルール」という「ルール」はそんな「空」であるものがみんなで寄ってたかって作ったものだから、それもお忘れなく。みんなで作ったものだから、みんなでそれを保持して守っているというわけだ。物理法則は良く出来たルールだが、宇宙は「トライ アンドエラー・フィールド」だから、失敗しても失敗しても何度でも何度でも繰り返して「妥当なルール」作りができるフィールドだ。だから、物理法則もこの星に生まれた生き物たちの生物法則もとてもよく出来ている。たとえ開闢から1秒と言う短いあいだでも、物理法則を作るには十分な時間だ。何せ、膨大な数の「空」が一斉にわずか10のマイナス32乗秒のサイクルでトライアンドエラーを行えるのだから。それに比べたら、単細胞生物を多細胞化してもっと自由のある多細胞生物を作るのには30億年もかかってしまった。この時のルール作りには相当苦労したのだ。人間の一生は短いと誰もが言うが「空」は元々時間の流れなどないものだ。だから、何度でも何度でもやり直しはきくはずである。ただし制限をするのは「他者」がいるためだ。その他者を傷つけても良い、殺しても良い、不当なルールを押し付けても良いと思っている人は要注意ではある。なぜなら、生物は「淘汰」による制限を受けなければならないから。まぁ、なるべく、この宇宙にあるものは全て大切にしてあげてください。みんな、皆さんと同じ元は「空」だから。


             「宗教としての物理学」というホームページがあります。詳しくはそちらでどうぞ。
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