V 番外編
 
 2. 「物理学者」の頭の中
 
 
私は、ずっと物理学を探求してきたから、物理学者の本もたくさん読んできた。中でもアインシュタイン博士については、相当勉強したし、博士の残した言葉はほとんどノートに書き留めてある。だからと言って、多分私が博士のことを尊敬している理由はみなさんとはかなり異なると思う。私はアインシュタイン博士を天才だとは思っていないし、博士の残した大きな功績「光量子仮説」「特殊相対論」「一般相対論」そのものに特別な価値があるなどとは思っていない。これらの物理学理論は、他の物理学者が見つけた全ての物理学理論と同等の価値を持っていると私は思っているから、博士だけが特別な物理学者であるとは思ってはいないのである。そもそも、19世紀後半から20世紀前半にかけての物理学会は、中世のルネッサンスの時代に優れた芸術家が大挙して現れたように、偉大な物理学者が大挙して現れた時期であった。ニュートン博士以来、「力学」として始まった物理学は、その後「熱力学」「電磁気学」「解析力学」「統計力学」「原子物理学」「素粒子論」などの成果が山積みされていた。だが、各分野の成果はそれぞれ独立していて、その領域内では十分に実用的でもあったが、各分野ごとにあるいは各理論ごとには矛盾もあったし、関連性がないと思われるものもあった。だが物理理論は、宇宙という最も大きなフィールドの全時空にまたがる法則であることは、どの物理学者もわかっていた。だから、@ある一つの物理理論が他の理論と全く無関係に存在することなどあるわけがない。Aある一つの物理理論が、他の物理理論のどれか一つとでも矛盾することなどあるわけがない、それが物理学者たちの「純粋理性」が要請することであった。もちろん、各理論は「物理法則」と呼ばれるものだから当然「法則性」を持っていなければならない。ルールが「法則」と呼ばれうるには「普遍性」と「絶対性」が不可欠だから、それゆえ全ての物理法則は「相対性原理」を満たすという条件をクリアしていなければならないが、このことを要請しているのも物理学者たちの持つ「純粋理性」なのだ。

  まぁ、こむつかしい話はこれぐらいにしておいて、みなさんには「物理学者の頭の中」を少し覗いてもらうことにしよう。物理学者は、ノーベル賞を受賞するぐらいだから、みんな偉いと思っているかもしれないが、ところがどっこい、物理学者は海千山千の山師ばかりなのである。だいたい、物理学者の先駆者たちは錬金術師と呼ばれていた得体の知れない人たちなのだ。
 物理学は全ての科学の根底にあり、宇宙にある全ての構造の元になる原子や分子、素粒子などとそれらが引き起こす全ての現象を研究する学問なのだが、科学の最先端である物理学上の知識が生まれてくるプロセスは思いのほか非科学的というか非合理的なのだ。物理学の初めは「現象ありき」で始まる。眼前に展開する現象が、物理学者が探求を開始する全ての発端である。物理学者は、目の前の現象を見て、何故とどうしてを考える。「どのようなメカニズムがあればこのような現象が現れてくるのか?」と考えるのである。なぜ、そう考えるのだろうか? それは、眼前で生じる現象が消してデタラメではなく、「一貫性」や「規則性」があるからなのだ。普段私たちの身の回りで起こっていることのほとんどが「いつも通りにいつものことが同じように起こっている」わけなのだが、物理学者たちは「それはきっと同じルールやメカニズムに従っているからではないか?」と考えるのである。物理学者は実に奇特な人たちで、いつもと同じようにいつもと同じ現象が起きることを不思議に思う人たちなのだ。(「特別」が大好きで、いつも通りに起こる現象には全く関心を示さない普通の人とは大分違うだろう!)
 リンゴであれカラスであれ飛行機であれ人間であれ、地球上にあるものはのほとんどは上から下へ、高いところから低いところへと落ちるわけだ。ものが何であっても全く同じ現象が生じているのだから、この現象には一貫性がある。そのことは普通の人間には全く当たり前で全く普通の現象なのだが、物理学者にはたまらなく不思議なことなのである。物理学者は、落ちるものがどんなものであるかより、どんなものにでも共通して起こる現象の方に目を向け、もとより普遍性のあること当たり前に起こることの方に特別関心がある人たちなのである。そして物理学者は、全く同じ現象が生じている原因であるメカニズムやルールについて探求を開始する。よく観察し、データを取ったりしては、「何かルールなどあるのかなぁ? 何かメカニズムはないのかなぁ?」と思いを巡らすのである。そして、彼らはまず「仮説」というものを立てる。これこれのルールがあるなら、あるいはこれこれのメカニズムがあるなら、きっとこの現象が現れるはずだと推測して仮説を立てるのである。その時、他の学問の学者諸兄ならば自分の知っている言葉だけを使って仮説を立てるのだが、物理学者はちょっと違う。物理学者は自分の知っている言葉だけではその現象を説明できないとき、彼らはいともたやすく言葉を作ってしまうのである。この時、物理学者によって作られた言葉は定義不能でも概念がはっきりとしていなくてもかまわない。とにもかくにも、そんな言葉を使ってでも現象がうまく説明できればそれで良いのである。この点が非常に重要なところで、物理学者は常に現象をうまく説明できるメカニズムだけを求めているのである。言葉など、彼らにとってはどうでも良くて、名前なども適当に付けておけば良いものなのだ。
 このようにして物理学者は実に多くの言葉を作り出してきた。「電化」「パリティ」「スピン」などの量子数、「弱い力」「強い力」「クォーク」など、そのほとんどは実に適当な言葉なのだ。そして、面白いことにそれが実際どんなものであるかは、誰もはっきりとは知らないのである。全く良くはわからなくて、全くイメージできないものもたくさんある。だが、これらの言葉を用いることで現象をとてもうまく説明できるのだ。それが実際どんなものか、実態さえあるかどうかもわからないのだが、とにかく現象をうまく説明できるので、物理学者は何とも思っていないようだ。
 ニュートン博士は「重力」つまり「万有引力」の発見者である。だが、万有引力という言葉は適当に付けられたものである。(元々誰も気づかず、誰も知らなかったものだから、それを見つけたニュートン博士に命名権が有るから、どんな名前をつけても構わないと言えば構わないのだが。)博士は、リンゴが木から落ちてくるのに月は落ちてこないという現象をうまく説明するために、「重力」やそこに隠されていたルールである「万有引力の法則」などの言葉を作らないことには、現象をうまく説明できないので作っただけなのだ。もし博士が知っている言葉を使って同じ現象をうまく説明できたとしたら、「重力」も「万有引力の法則」という言葉もこの世界にはなかったことだろう。
 湯川秀樹博士の「中間子」というのも事情は同じだ。湯川博士は、中間子というものがなければ現象がうまく説明できないので、この言葉を作ったのである。博士の場合は言葉を先に作っておいて、きっとあるはずだから見つけてくださいと実験者に頼んでおいたら、それが見つかったというわけだ。湯川博士はこの中間子の存在を予言したという理由でノーベル物理学賞を受賞したのだが、人間が予測したもの予言したものがきちんと自然の中に見つかることがあるのだから、物理学は不思議な学問である。
 現在の物理学上の理論のほとんどは数学を用いて表現されている。そして、現象をうまく説明するために仮説を構築するときにも数学が用いられている。物理学者の多くはあれやこれやと数学をいじくりながら現象をうまく説明できる理論の構築に励んでいるのだが、数式がエレガントかどうかシンプルかどうかという美的なこと、感覚的なことさえ、物理学者の新しい洞察を導く指標となっているようだ。数式が「エレガント」だと正しい理論なのかも知れない? と考える物理学者なのだから、まさに彼らは山師と呼ぶにふさわしいではないか。とはいえ、美的感覚さえ利用した物理学者の洞察は、今のところうまくいっているようで、数学的な辻褄が合えば、それが表現するような現象は後から付いてくるようだ。ヒッグス粒子も見つかったようだし、物理学者はますます図に乗るであろう。なぜ数学が自然の現象をうまく説明できるかどうかはわからないが、「数学」は人間の「理性」によってのみ構築された「無矛盾なルールだけの体系」だから、人間理性もまんざら捨てたものではない。人間理性に限界があるのは、カント先生も指摘しているところではあるが、人間理性の限界はまだまだ先の方にあるように思う。

 さて、物理学者の頭の中について少しは理解していただけたであろうか? 彼らは当たり前に起こることに関心を持つ奇特な人たちであり、当たり前の現象の中に隠された普遍的で有効性のあるルールをやメカニズムを見つけることが得意な人たちだ。彼らが求めるのは、現象をうまく説明できるメカニズムだけであり、そのためには言葉でも何でも勝手気ままに作ってしまうのである。哲学者なら言葉の一つ一つを良く吟味して使うであろうが、物理学者にとっては言葉などどうでも良いのである。要は現象をうまく説明できること、そしてそれが数学で記述され数学的な辻褄が合っていること、それが肝心なことなのである。彼らがこのような方法で世界を理解しようとする根底には、彼らが「関係性」をとても重要視していることがある。そこにあるものが何であるかを知るよりも、そこにあるものと他にあるものとの「関係性」を知ることの方が物理学者にとってはとても大事なことなのである。だから、彼らはモノそのものにはほとんど興味がないか、実のところほとんど知らないと言って良いだろう。物理学者に、物理学で使用する言葉の定義とそれがどんなものであるかという説明を依頼したら、ほとんどの物理学者は、わからないといおっしゃるはずである。「力」とは? 「エネルギーとは?」なんて、こんなに当たり前に使われている言葉についてさえ物理学者に聞いたとしても、多分ほとんどの物理学者は知らないとお答えになるであろう。だが、「力」や「エネルギー」が何であり、どんなものであるかはさっぱり知らない物理学者なのだが、それらが何と関わり、どんなルールに従っていてどんな現象を引き起こすかについては詳細に答えてくれるはずである。
 私も、今では物理学者になりたかったと思うが、数学や物理学などとは30歳前まで縁もゆかりもなかったのだから仕方がない。私は文系一筋で、大学では美学科に在籍し映画や演劇について学んでいた。残念だ、次の人生に期待したいが、いかんせん私は数学が大の苦手だから、どうしたものか......。
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