T 私たちがそこに住まいするフィールドとして宇宙を理解する
 
 2. この問題が解ければ、宇宙は理解できる
 宇宙というフィールドを理解するには、できるだけ言葉で書かれたできるだけたくさんの物理学書にかじりついて、時折出てくる難解な「数式」を理解するのではなくイメージするよう心掛けて、「量子力学」や「相対性理論」や「熱力学」など全ての物理学上の諸分野について、どの分野も孤立させることなくうまくつなげて行って、「宇宙という全体」の中に無矛盾に組み込んでゆくとその全体像が見えてくる(はずだ)。とはいえ、「宇宙」を「自分がそこに住まいするフィールド」として理解したいなんて思って物理学を始めた人はいないだろうから、多分「宇宙の全体像」を持っている物理学者は少ないかもしれない。それに、宇宙の全体像が理解できても、私の場合は「未解決の謎」というものがあちこちにたくさん出てきた。なんとか答えを見つけ出そうと、物理学者をはじめとする自然科学者や哲学者、宗教家や神秘主義者の著作の中をあてどなく探し歩いたが、どこを探してもそれらの答えが書かれた本を探すことができなかった。「どうやら、その謎の解明は私自身にかかっているようだ」、そう思った私は、学ぶことから考えることへと、自分自身が探求の徒となる他はなかったのである。そんな「未解決の謎」を解くのに「宇宙の全体像」を把握してから、何と15年もかかった。未解決の謎はたくさんあったし、誰も考えたことがない問題ばかりであったので、たった一人の作業だけではかなりの時間を要した。それに「宇宙」を思考の対象にすることは、それが内包する膨大な時空全体に思いを巡らせることであったが、そうすると実際に自分が存在している周りにある普通の世界との隔絶がひどくて、混乱する日も多かった。1000億の星星を有する1000億の銀河のあるものを対象に、それに比べればはるかに小さく矮小な世界にいるたった7、80年しか生きられない人間がただただ思考を続けてきたのだから、元々正気の沙汰ではないだろう。また、周りの誰ひとりとして考えないような問題であったので、誰にも何にも話すことさえできず、(話したところで関心さえ持ってもらえなかったであろうが)たった一人で思考する日々は、少なからず私を混濁させたのである。誰に命じられたわけでもないのに、何かを得るということもないのに、どうして私がそれに取り組み、どうして私がそれについて知りたいかさえもわからないのに、あてどもなく自分の脳裏に想起された疑問を解決しようと試みる日々は、普通の人には全くおすすめできないのである。普通に生まれて普通で当たり前な日々を送ることが最も良い人間の人生であると、今の私は思っているので、そういう人生を送れなかった私は、少し悔しい思いもしている次第である。
 前置きが長くなった。私が理解しようとした多くの謎の中でも、最も不可解なもののひとつを挙げてみた。それが次のような問題だ。

 ☆宇宙究極の思考問題

 @「壊れないもの」で「壊れるもの」ができているのが、この宇宙だ。
 A「命のないもの、死すべき運命にないもの」で「命のあるもの、死すべき運命にあるもの」ができている
   のが、この宇宙だ。
 B「永遠なるもの」で「有限なもの」ができているのが、この宇宙だ。


 人間の中でもごく一部の人だけだろうが、ずっと古くから自然に関心を持ち自然の謎の解明に挑んできた人はいる。みなさんも良く耳にするのが、一体世界は何でできているのか?という物質の究極の「根源」に関することだと思う。古代ギリシャ、古代インドや古代中国の時代から人間は物質の根源を探していたわけだ。それは最初「土」だとか「水」だとか「火」だとか言ってたわけだが、今の物理学では「素粒子」と言うことになっている。「素粒子」とは、これ以上分割することはできない最小の単位で、この宇宙にある宇宙の存在はみんなこの「素粒子」でできていると、今の物理学者は考えている。
 でも、これは「無茶苦茶おかしなことじゃないか!」って私は思うのだ。なぜかと言うと、これ以上分割できないってことは、それは「これ以上壊れない」と言うことだからだ。 でも、宇宙にあるものといえば星や生き物だのパソコンだの東京スカイツリーなのだが、みんな壊れるか、壊れる可能性がある。ということは、この宇宙は「壊れないもの」で「壊れるもの」をわざわざ作っていることになる。また、生き物はすべて「たかが物質」でできているのだが、その「たかが物質」には「命」がない。ということは物質は「死なない」わけだ。死なないもので「死すべき運命」にあるものができている。これも、おかしなことだ。もう一つ、宇宙には「保存則」がたくさんある。「質量保存の法則」とか「エネルギー保存の法則」とか「電荷保存の法則」とか、とにかくいっぱいある。これらの法則が教えてくれるとても簡潔なことは、どんな変化が起きようとも「お前らは全部永遠だ!」ということだ。とにかく時間がいかに経過しても決して消滅(真の意味で「無」になること)したり、宇宙の外へ飛ばされたりはしないことを保証しているのが保存則なのである。でも、星も生き物もその命や、その存在は「有限」だ。だから、「永遠なるもの」で「有限」なるものができていることになる。

 モノは壊れて人は死ぬのに、どうしてそれらが「壊れないもの」「死なないもの」でできているのか?

 この問題をゴーダマ・シッダッタ-つまりお釈迦様に相談しようと思ったが、残念ながら彼は既にご存命ではない。バシャールという宇宙人に聞いても、神様と対話した人の本を読んでも、答えてくれそうにないし、それらしきことが書かれている様子もない。だから、自分で解くしかない。この問題の持つ根源的な「不可解さ」の謎さえ解ければ、「宇宙」は理解できると私は思った。そして私は考えた。
 
 これは、誰が考えたって事実なのだが、ちょっと子供じみているとも思う。だから、こんな子供じみた問題の答えなど、歴史上の偉人さんたちがとっくの昔に素晴らしい解答を用意してくれている、とも私は思っていた。だが、どこを探してもこの問題の答えはなかった。今の私は、ようやく何とか答えを見つけ出せたと思うのであるが、私の頭にはこの問題そのものがとても難解すぎたようで、自分で納得できる解答を見出すまでに、どういうわけか10年以上もかかってしまった。全く、ふざけた話である。疑問一つに10年もかかるなんて....。だが、長年熟考した甲斐あって今の私には、宇宙が何でこんな不思議なことをしてきたのかはわかっている。そして今の私にはこのことは不思議でもなんでもく、それどころか、この宇宙の持つメカニズムの素晴らしさに心打たれる日々を送っている。「うわぁー!この宇宙を作った「神様」って本当に賢い!こんな素晴らしいメカニズムを思いつくなんてすごい!」なんて神様にエールを送りたいほどだ。(だが私は、無神論者なのだが....)

 私は、この問題を解いてしまった。だからこそ、宇宙は本当に良くできた素晴らしいフィールドだ、と言えるし、そのことをこの地球にいるすべての人に伝えたいと思っている。でも、今のところこの宇宙が素晴らしいフィールドであることをほとんどの人が知らない。知らないことで、人は自ら、この宇宙というフィールドにはあり得ない「不幸」というものを作り出している。だから、教えてあげたい。心から、教えてあげたい。この「宇宙」というフィールドでは、人でなくても「存在」の全ては「不幸」になることなど皆無なのだと。それゆえ、人の不幸は全て人自身が、自分自身が、作り出していることなのだと。
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