V 人間は宇宙をひどく誤解している
 
 10. 「争い」と「ルール」の関係について(1)
  私は、「争い」を好まない。いや、私だけでなくて多くの人が「争い」は好まないはずだ。でも、人間の世界は「争い」だらけだ。どこへ行っても、どこで暮らしても「争い」だらけなのである。みなさんがお気づきになっていないだけで、人間は一生「争い」続けて死ぬ運命にある。それは「争い」が「生き物」としての「習性」の中に組み込まれているからで、それゆえ誰も気づかないし、誰もそれを止められないでいるのだ。
 私は、それに気づいた。だから、この地球上にいる70億の人間の中で私の人生だけ「争い」とは無縁のものになった。私から「争い」を取り去ってくれたのは、他でもない私の中にある「理性」であり、この宇宙が「物理法則」を作った時に用いられたものと同じ「理性」である。そして私は「争い」から無縁になることで、人間を卒業できた。「宇宙の理性的存在者」として、生きることができるようになったのである。
 不毛の「争い」と「ルール」の関係について気づいて欲しいと思う。人同士がなぜいつも「争う」のか? 「争い」と「ルール」の間には意外な関係があるのである。
 

 
思考開始:この宇宙は法治フィールドである。しかし、「理性」を持った人間が「ルール」を尊重する気持ち
       を全く持たないで、生きているのはなぜであろう? 人の多くが、「財力」「経済力」「権力」など
       「力」ばかりを欲しているのは何故であろうか?
 
 思考開始:「戦争」は何故起こるのか? 人の間に「争い」は何故起こるのか? 何故「受験戦争」
        「就職競争」「出世競争」など、人の一生は「競争」を余儀なくされ、「競争」に明け暮れ
        ているのか?


 さて、ルソー先生は、人間が大地と呼ばれる元々は誰のものでもなかったものを、誰かが所有して「土地」と名前を変えてしまう魔法についてこう書いている。「ここから先は私の『土地』だと誰かが『大地』の上に線を引いて宣言し、お人好しにもそこにいた隣人が『そういうことで構わない』と言った」ことで始まったと。馬鹿げた話だが、土地の所有などというものが、この先とんでもない不幸を人間にもたらすことなど誰も予想できなかったのだから仕方がないと言えば仕方がないことだ。現実には「土地」をめぐる争いはそれ以来ずっと続いていて、今でも、日本海で起こった国家同士の「土地」の争いが一悶着起こしている。人間が土地を所有して以来、「土地」を巡る争いで、多くの人が死んだり傷ついてきたことも事実だし、自然科学がこれほど発達し、「宇宙」のあり方そのものが理解され、この宇宙にある全てのものを個人的に「所有」するなどと言う権利を正当化できるような根拠は絶対にないのが分かっていても、今のところそれは「法」によって定められた権利だということになってはいる。
 そこで私はルソー先生と同じように、今生きているあらかたの人間が「力」を尊重していて、「ルール」を尊重することなど、全く脳裏には浮かばないことについて、それがどんな事態から始まったのか? ということについて私なりに考えてみた。そしてどうやら、人間が「ルール」を尊重しなくなった起源は相当古いと思われ、少しばかり人類史というものに触れながら考察してみようと思う。

 @原始時代:私たち「人間」の歴史の始まりは、およそ700万年前に遡る。その頃私たちはチンパンジーと同じ祖先である「猿」から、枝分かれして「人間」の歴史を歩み始めた。そして、ホモサピエンスになったのがおよそ20万年前、その先20万年の内4分の3をアフリカで過ごした私たちは、この間に「仲間と協力すること」を学び、「仲間と協力すること」でアフリカの厳しい自然の中を生き延びてきた。仲間の協力なしでは一人で出産さえできない「人間」、硬い皮膚も強靭な肉体も強い腕力や脚力も持たなかった「人間」は、「家族」や「親族」を超えて、より多くの人間と協力することで生きてきたのである。その間、人間は「集団」で生きるためのさまざまな習性や能力を獲得した。人の顔色を伺い、KYを避けることを学び、他者と争うことは結局自分自身を追い詰めることになることも学んだ。そして6万年前、その頃アフリカにいた人間の数は数万人ほどだが、その中でわずか数千人の人間がアフリカの東から世界へと旅立った。そしておよそ5万年の間に、人間は南極を除く全ての大陸に到達して、各々の場所で暮らし始めたのである。人間が移動を繰り返してきた理由は他でもない、発情期を持たずわずか一年で次の出産が可能になるというその生殖能力にあった。人間はその数がほかの猿に比べて格段に増えやすいのである。だから、食料を求めて人は世界へと移動を続けた。争いを避けながら子孫を増やしてゆくために、平地、山岳、水辺、絶海の孤島、暑さも寒さももろともせず、まさに世界中に広がったのである。旅の途中で、ネアンデルタールと呼ばれる別種の人間とも出会ったかもしれない。彼らは、私たちが発達させた「社会性」を発達させていなかった。彼らは小さな集団で、孤立して暮らしていたのである。移動を繰り返し、世界へと拡散した私たち人間は、ともに行動する集団の中だけで孤立することはなくもっと広範囲なネットワークを形成していたようだ。切れ味の良い石器になる黒曜石や「投擲具」と呼ばれる狩猟の道具などの同一性は、集団を越えた広いネットワークがあったことの証拠とされている。だが、今からおよそ9000年前に、私たちはもうどこへも行くところがなくなってしまった。どこへ行っても人間がいるほどに、人間は世界中に拡散してしまったのだ。

 A文明の黎明期:私たち人間が世界へ拡散しきった頃でも、人間は狩猟と採取によって食料を確保していた。しかし、ほかの肉食動物たちよりもはるかに高度な方法(狩りの方法も対象ごとに多様化して精巧になっていただろうし、狩りの道具も発達しただろうし、狩りの際に集団に次の行動を伝達するため言葉も発達しただろう。)で狩りをしてきた人間は、狩るべき対象そのものの数を極端に減らしてしまっていた。アジアではマンモスを獲り尽くし、オーストラリアでもわずか1万年でそこにいた大型の動物のおよそ9割を滅ぼしていた。そんな中で、人間は新しい食料確保の手段である「農耕」を行い始めた。「農耕」には広い土地が必要であるし、そこに定住することも必要になった。そして、狩りよりもずっと長い時間、多くの人にルールを順守させる必要もあった。そこで、狩りの道具である「投擲具」はルールを順守させるために、ルールを破ったものに罰を与えるための道具として用いられるようになった。だから人間が、「物理的な力の行使を背景にした威力」と呼ばれる「力」によって初めて「制限」されだしたのがこの頃だ。そして定住生活は、他者の侵入を拒む必要もあった。自分たちが、毎日毎日同じルールを守ることで、やっと一年に一度だけ収穫を迎えられる食料を、よそ者にかっさらわれてはたまったものじゃない。そうして、人と人との争いの歴史も始まったのである。他方、私たちは身近にいる動物たちを「訓練」することも始めた。同じことを何度も何度も繰り返すことで、彼らにルールを学習させて、自分たちとともに暮らせるようにした。もう一つ、自分たちに有利になるような「特質」を持った動物や植物を選択して飼育したり、栽培するようなことも始めた。今、私たちが口にする飼育された動物の肉や栽培された植物の多くは、原種とは相当にかけ離れている。私たちは長い時間をかけて「人為淘汰」を行い、野生種を食料に適したものに変えていったのである。
 人が一定の土地に定着して農耕を始めてまもなくすると、土地には肥沃な土地とそうでない土地があることは明白だから、誰でもが肥沃な土地を求めるのは仕方のないことだ。だから、土地をめぐる争いは必然的に生じてくる。そして「争い」は必ず勝者と敗者を生む。当然、勝者が敗者を支配し、勝者の「独善的なルール」を敗者に対して「力」を背景に押し付けることが可能なはずで、敗者は一方的に勝者に有利な「ルール」を押し付けられることになる。勝者になることは「ルール」を支配し、敗者に「自分たちに一方的に有利なルール」を押し付けることができることなのだ。
 他方、この「争い」によって、別の現象も引き起こされることになる。それは、「争い」のたびに人間の集団が大きくなってゆくことだ。そもそも、争いを避けて狩猟と採集のために各地を転々としていた人間の集団は、そんなに大きくはなかったはずで、せいぜい百人程度のものであっただろう。そして、その集団の中では独自の言葉、独自の道具など、衣類や装飾品、体に施す刺青、狩猟や採集の仕方、集団の維持の仕方など、あらゆるルールがその集団の中だけの独自なものであったはずだ。そんな独自のルールを持ったもの同士が争って勝敗が決すると、勝者は自分たちのルールを敗者に押し付けたことであろう。そうすると、敗者がそれまでに従っていたルールは消滅するか、良いルールであれば勝者に採用されるといったような「ルール」の統合や統一が起こる。その結果、同じルールに従う集団が大きくなってゆく。「争い」のたびに、同じルールに従う人間の集団である「社会」は大きくなってゆくのである。そして争いのたびに、「従わせられるルール」の異なる「階級」もまた生まれてくる。最初の「争い」の敗者は、二度目の争いの時には勝者と同じ側に立って争いに参加する。そして勝利を手に入れると彼らは、この時の敗者よりは「ましなルール」に従って生きることができたであろう。そしてまた、社会の維持管理のことを考えると、単純に数の問題からも「階級」は作らざるを得なくなる。なぜなら、争って勝つたびに従わせる敗者の人数が増えるから、やがては逆転して勝者より敗者の数が上回るようになる。そうなると、いかに武器を取り上げ、監視の目を光らせても勝者は枕を高くして眠ることはできなくなる。それで、敗者の中から従順な者や有能な者を選んで自分たちの側につかせようと、勝者である自分たちほどではないが他の者とは違う「特権」を与えるであろう。これもまた「階級」と呼ばれるものの始まりになるであろう。
 人間は「争い」によって「社会」を大きくしていったから、「社会」には必ず「勝者」と「敗者」がいた。そして、「勝者」と「敗者」は異なるルールの中で暮らし、また両者のあいだには「勝者に一方的に有利なルール」が適用されていたであろう。
 「奴隷」制度は、最も端的にこのような事情を物語っている。まず「主人」と「奴隷」は全く異なったルールの下で暮らしていたであろう。「主人」たちが「主人」たち同士のあいだで従うルールは、まっとうな「理性」に叶うルールであったかもしれない。一方「奴隷」たちが従うルールは、とても悲惨で非人間的なルールである。そして、両者のあいだには、「力」によって主人から奴隷に押し付けられた「一方的に有利なルール」が適用される。それは「命令に対する絶対服従」であるとか「強制労働」とか「労働報酬の圧倒的搾取」であるとか、そういうものだ。「奴隷制度」がいかに不当で歪んだものであるかは誰でもがご存知だ。「奴隷」と言えば、15世紀から18世紀にかけて帝国主義時代にヨーロッパの人々がアフリカにいた人たちを奴隷にして初梅した「奴隷貿易」のことが思い出される。だが奴隷の「ルーツ」(こういうタイトルの奴隷貿易のドラマが昔あった)は、もっと古くて、この文明の黎明期に当たると思う。そして、これは世界の各地で、「争い」が起こったところなら場所を問わずに起こったことであり、「争い」によって奴隷は生まれ、奴隷に不当なルールを遵守させることで成立する「社会」がたくさん出来ていったのである。
 百人程度の集団で、狩猟と採集の生活をしていた頃の人間は、誰かが一方的に有利になるようなルールではなく、平等であって誰でもが承認するルールに従って生きていたであろう。しかし、「争い」によって生まれた「勝者」と「敗者」によって形成される社会では、そのようなルールの妥当性は崩れ去って、両者は異なるルールで暮らし、両者のあいだには勝者にとって「一方的に有利なルール」が適用されたのである。

 B文明の発祥:私たちの文明は、大きな川の豊かな「水辺」で始まった。「文明」というのは、私たち人間が確実に「新しいルール」を作り始めたことを示す言葉である。偶然生まれた「ルール」ではなく、はっきりとした目的のために新しい「ルール」を考え、作り出し始めたこと、それが「文明」の発祥である。人間が新しいルールをたくさん必要になったのは、おそらく「社会」が大きくなったためだ。数十人から百数十人程度の集団ではなく、もっと大きな数千人数万人の人間の集団が出来始めたので、急激に新しいルールが必要になったのだと思われる。
 この頃には、人類史の中で最も忌まわしき人間が登場する。「王」と呼ばれる人間である。「王」がなぜ忌まわしき人間なのかというと、彼らが「理性」を「力」の獲得とその維持に使った最初の人間だからだ。つまり「理性」の不正使用に最初に踏み切った人というわけだし、「力」の誘惑に最初に屈して本来の「理性」の使い方を放棄した人でもある。「王」のずる賢くて、ほとんど感動的でさえある狡猾な「理性」の使用法について語る前に少し寄り道をしたい。それはこの宇宙での「力」の集め方についてだ。

 宇宙は法治フィールドである。それは何度も言ってきた。だが当たり前だが、この宇宙には「力」がないわけでもなければ、「力」は悪いものでもない。この宇宙に「力」はたくさんある。人間の力など、全く無に等しいほど大きな力がこの宇宙にはある。だが、この宇宙には「力」を集める方法は一つしかない。それは「部分」であるものが少しづつ、とても小さな「力」を出し合って大きな「力」にする。この方法しかないのである。例を挙げて話そう。太陽の話だ。太陽は、総質量1.9891×10の30乗kg、太陽系全体の質量の99.86%をしめ、この質量が太陽系全体を一つにまとめる万有引力の発生源である。そして太陽は、毎秒50億kgの質量をエネルギーに変えて放出している。そのおかげで、地球上の全生命が維持されているのだから、私たちにとって太陽はまさに「神」に等しい。この太陽の内部組成は、ほとんどが水素とヘリウムで、それらに比べたらほんのわずか酸素や炭素、鉄などが含まれている。そしてこれらは全て、極微の原子だ。つまり、たった一個の水素原子なら1.674×10のマイナス27乗 kgしかない。そんな軽いものがたくさん集まることで太陽はできているし、太陽系を一つにまとめる大きな重力を作り出している。太陽の大きな重力の源は間違いなく太陽を形作る一つ一つの極微の原子である。また太陽は誕生以来ずっと輝き続けて、私たちに必要な光のエネルギーを地球上に降り注いでいる。光のエネルギーの発生源は、太陽内で起こる熱核融合反応によって水素がヘリウムに変換されていることに起因する。1秒当たりでは約3.6 ×10の38乗個の陽子(水素原子核)がヘリウム原子核に変化していて、これによって1秒間に3.8 ×10の26乗ジュールのエネルギーが放出されている。そして、太陽の発する膨大な光のエネルギーの源もまた間違いなく太陽を形作る一つ一つの極微の原子である。
 次に、私たちが発生させる「力」について考えてみる。私たちの力の発生源は筋肉だが、筋肉を形成する筋細胞は一個ではその大きさが60−80ミクロンで、一個一個の筋細胞が出す力の大きさなどノミも持ち上げられないほどだ。だが、そんな筋細胞も数が集まると、私たちの体重を支え、鍛え様によっては笑顔のかわいい女子ウェイトリフティング選手が100キロ以上のバーベルを持ち上げることができるぐらいの力は出せる。ここでも、小さな部分であるもののとても小さな力が、たくさん集まることで大きな力となっている。私たち人間の力の源は、私たちを形作る一個一個の小さな筋細胞である。
 この宇宙では、こう言う「力」の集め方しかできない。小さなものにある小さな力を少しづつ集めることで大きな力を作ることはできる。だから、元々大きな力を持ったものなど、この宇宙にはたったの一つも存在しない。この宇宙にあるもの全てはとても小さなものである素粒子や原子といった極微のものでできていて、力となるエネルギーの起源はその中にあるのだ。

 話を元に戻そう。狡猾な「王」の話だ。「王」もまたこの宇宙の存在なのだから、彼の偉大な「力」もまたその源は小さいもののはずだ。今の私たちは、「王」の力の源は本来彼に仕える人間一人一人にあって、彼らが力を供出して「王」のもとに集めて、それを使用する権利を「王」に与えることで「王」の権力が維持されていることはわかっている。今の民主主義国家に暮らしている人なら誰でも「主権在民」は憲法に謳われていて、国家権力の源は国民一人一人であることは誰でも知っている。それゆえ、私たちは国家を運営するためのルールを決める権利も有していて、せっせと選挙に行くことで国家のルールを決めることに参画する。だがこの方法は「王」には取れない。民衆がルールに関することに口出しするなんてことは、許せることではない。「歪んだルール」「不当なルール」を民衆に押し付け、それを維持することでしか自らの「力」を維持できないのだから、「王」がこんなことを許すわけはない。そこで「王」は、とんでもない手を思いついた。本当におそろしく狡猾な手段を「王」は思いついた。「王」は「神」を作った。「王」は「神」を作って、自分の力の源が「神」にあるとしたのである。 所謂「王権神授説」と言われるものだ。「神」は「王」に作られたと私は思っている。ただし、それは「人の神」の話ではあるが。「王」はあからさまに誰でもが偉大と感じるものを「神」に仕立てた。太陽である。そして「神」を崇めるように民衆を仕向けた。元々民衆はアニミズムと呼ばれる、自分たちのまわりにある自然そのものを敬う習慣はあった。山、川、湖、森やそこに住まう生き物たち全てが信仰の対象であったのである。しかし、「王」は民衆にただ一つ「太陽」のみを偉大な「神」として崇めること強要した。そして、頃合いを見計らって民衆にこう言い放った。私の「力」の全ては「神である太陽」から授かったのだ、と。さて、これで「王」は心おきなく「歪んだルール」を民衆に適用することができた。自分の持つ権威も権力もみんな「神」から授かったもので、民衆によって選ばれたものでもなければ、民衆によって与えられたものでもないからだ。そして「王」は巫女を利用して「神託」(オラクル)と称するものも作り上げた。そして、「どんなに歪んだルール」であってもそれが「神のお告げ」だと言って、「神」のせいにして民衆に従わせたのである。民衆にとっては、「王」の「歪んだルール」から救ってくれるはずの「神」であったが、いかんせん「神」は「王」の手先であった。
 信仰をお持ちの方には、少し辛辣すぎるかとも思う。しかし、どういうわけか、大きな権力が現れるところでは、時を同じくしてみな強大な力を持つ「神」もまた現れるのである。エジプトでも、インカでも、中国でも、そして私たちの国でも。権力者の多くが、その権力の源泉を「神」としているのはなぜであろう? 私たちの国では、抽象的な「神」ではなく「神」の子孫として生きてあらせられる「神」である「天皇」が出現した。人をルールに従わせて、人を野蛮な状態から「秩序」のある状態にするためには、「神」という人が恐れおののく様な「大きな力」の存在が必要であったとも考えられる。だが、それならば、「神」の命に従う「王」が敷設するルールがなぜ「歪んだルール」であって「妥当なルール」ではないのか? という疑問が残る。「神権」を託されたはずの「王」が敷設したルールがどれほど不当なものであったかは、誰でもが知っている。民衆が飢えに苦しみ、悲惨な状況にあっても「王」は宮中で晩餐や宴を繰り広げることができるほど「不当なルール」を敷設していたのだから。
 文明が発祥したこの頃、地球上のいたるところで「大きな権力を持つ人間」が現れ、そして「もっと大きな力を持つ神」もまた現れた。そして、「大きな権力を持つ人間」はみな自分の「力」の源が「神」にあって、自分はそれを授かったのだと言い出した。そして、「神」の偉大な「力」を背景にして、「歪んだルール」を敷設し続けた。人はますます、まとまもルールの下で生きることがなくなってしまった。
 人は思った。「力」さえあれば、自分は「自分にだけ一方的に有利なルール」の中で生きてゆけるのだ、と。
                                                        (次項に続く)
 
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