V 人間は宇宙をひどく誤解している
 
 1. 宇宙のメカニズムのおさらい
  ここから先はソクラテス先生方式でゆこうと思う。みなさんにも思う存分考えることをしてもらって、できればあなたの理性があなたの中で答えを見つけることが一番望ましい。他者からの知識の移譲ほど、むつかしいことはない。知識人やら何やらかやら、講演会は山ほど開かれるが、みんな聞いたふりをすることが得意で、誰も何もわかってはいない(と、思う)。だから、「Gedankenexperiment(思考実験)」も物理学者のように、たくさんやってもらおうと思う。
 @赤色の文字は大切なこと
 A青色の文字は、私の見解
 B「思考開始」と書いてあったら、なるべく自分で考えてみましょう。
  以上3つのお約束。よろしく。

 さて、私の師匠はソクラテス先生と、カント先生と、アインシュタイン先生と、カール・ポパー先生と、エイブラハム・マズロー先生と、マザーテレサ先生と、宮沢賢治先生などである。(ゴーダマ・シッダルータは、私と同じ探求の徒であり、良き友でもある。)これらの諸先生方は、おそらく私の数万倍は賢いと思う。そして、これを読んでくれているみなさんには失礼だが、みなさんはおそらく私ほどは賢くないと思う。というわけで、今はもうこの世を去られた諸先生方に代わって、私は思う存分みなさんを「批判」しようと思う。正確にはみなさんの知識を「批判」するので、みなさん自身を批判する「非難」とは違うけれども。とはいえ、だからといってみなさんに何かを期待するわけではない。私自身は、諸先生方の意志を引き継がねばならないので、生きているあいだは「より良き世界」の構築に尽力するつもりではある。だが、私自身の経験から言って、この第三章での言論は、普通の人には全く無理な話だと思う。理解することはできるであろうが、実践するとなると、「ちょっと無理っ!」って誰でもが思われるだろう。でも、この章の言論は今は批判でも、将来的にはほとんど確実にこうなることだ、と思って読んで欲しい。つまり、未来の予測だ。今この星に生きている「人間」は、宗教家も神秘主義者も含めて、ほとんどすべての人が誤りを犯している。それはこの宇宙というフィールドをよく知らないし知ろうともしないことによる無知に起因することだけれど、老いも若きも富者も貧乏人も、権力者もプロレタリアートも全世界の人が全く見当はずれなものに価値を置いて生きているし、全く見当はずれな目標に向かって生きていると思う。それら全ての「人間の生き様」はこの宇宙には全然ふさわしいものではない。だから、私は、この宇宙にふさわしい生き方をして欲しいがために批判するわけだが、さっきも言ったように、誰にもそれを期待するものではない。私ごときが、誰かの生き方を変えれるなどとは思っていないし、そんな傲慢な考えもない。それに、そう遠くない未来に、そうだなぁ、早くて数百年後か、遅くても数千年後ぐらいには、私が批判しなくても良い人間の生き方をこの星に住む全ての人間がしていることになると思う。この宇宙にふさわしい生き方にこの星に住む人間の全てを導くのは、他でもない全ての人が持っている宇宙最大の能力である「理性」だ。人にある「理性」はこの宇宙に元からあるものと同じものなので、ちゃんと人々を導いてくれる。今の今でも理性に従って生きてゆくことをすれば、この宇宙の意思は理性を通して人を導くから、結構宇宙にふさわしい生き方ができるかもしれない。でも、理性を発揮し理性をうまく利用して生きている人は実はいっぱいいるのだけれど、みんな理力の暗黒面に落ちてしまって、末はシス卿かダースベーダーか、になってしまっている。理性を「?」(今はないしょ)の獲得に向けたら、みんな理力の暗黒面に落ちてしまうのだよ。だから、みなさんにはくれぐれもそうならないように、「批判」することにしよう。


 長々と前置きを書いてしまった。この項の本題に入るとしよう。宇宙最大の謎は次のようなものであった。
 @「壊れないもの」で「壊れるもの」ができているのが、この宇宙だ。
 A「命のないもの、死すべき運命にないもの」で「命のあるもの、死すべき運命にあるもの」ができている
   のが、この宇宙だ。
 B「永遠なるもの」で「有限なもの」ができているのが、この宇宙だ。

 そして
 C宇宙の存在は全て「存在しないもの」で出来ていて、「存在しないもの」の中で暮らしている。
というのも付け加えておこう。
 まずは、よくよく眺めて、じっくりとこの文章について考えてみよう。
 @とAの文章については、誰でも納得すると思う。この宇宙にある全ての存在は壊れない(これ以上分割できない)素粒子で出来ているのだし、生き物は原子や分子という命を持たないもので出来ていることは誰でも知っているから、@とAはまずまず妥当だと思われるだろう。Bは物理法則の中にある「エネルギー保存の法則」などの「保存則」から推測したものだ。でも、難しい話をしなくても、「原子」を壊すのは大変だということは誰でも知っておられると思う。分子なら、電気分解や燃焼によって原子の組み合わせを変えたり、分子を構成する個々の原子に分解したりできる。しかし、原子をより小さな部分へと分解することは並大抵のことではできない。ほとんどの原子はとても安定していてとても頑丈なのだ。原子の一番外側の軌道を回る電子だけなら、ちょこっとはがせる。これがイオンと呼ばれているものだ。原子核と電子が遊離したものを「プラズマ」と言うが、この状態にするには大きなエネルギーが必要だ。そして核を分裂させようとすると、ウランやプルトニウムなどの非常に壊れやすい原子なら人間が普通に利用できる程度のエネルギーで壊せるけれど(核分裂=原子力発電に用いられている)、安定した原子の原子核を壊したり、原子核を構成する陽子や中性子なんかを壊そうとすると、巨大な高エネルギー実験施設である「シンクロトロン」という化け物施設が必要になる。今一番大きなシンクロトロンはスイスのジュネーヴ西方にある「CERN(セルン)」で、一周27キロもある。最近ヒッグス粒子の発見で話題となったからご存知の方も多いはずだ。まぁ、そんなことを書かなくても、今宇宙にある全ての水素は、私やみなさんの体にある水素も全部、宇宙が開闢した時にできたものだから、137億年前からある水素だ。水素は陽子1個と電子1個でできたシンプルな構造の原子だが、陽子の寿命はこの宇宙全体の寿命よりも長いと言われているから、これだけを見てもBも妥当だと言えると思う。Cについては、私の推測に過ぎない。(それに、宇宙の全体は存在しないというのは、検証不能なので非科学だ)でも、こうであれば、ユニークだし、仏教第一の経典「般若心経」の意味もよくわかるので、こうではないかと思っている。まぁ興味がある方は、番外に般若心経の物理学的解釈を書いておいたから、後で読めばいい。
 さて、次に進もう。
 D宇宙は法治フィールドだ!
 私はこの宇宙は法治フィールドだと思っている。ということは、神様は「法治主義者」だということになる。(私は無神論者ですので、お間違えなく)壊れるもの、死すべきものを守るために、この宇宙は、宇宙の中にある全ての存在に(お互いに影響を与えることが確実であるならば)同一の「ルール」を守らせて、「ルール」を守ることでのみ生じる状態「秩序」を創出し、全ての存在と全ての現象を秩序あるものにし、秩序があるがゆえに、全ての存在を可能な限り「安定して」「安全に」「安心して」存在できるようにしたのだ。
 そのためのメカニズムは
 1.現象を引き起こすには、少なくとも一者以上の他者を必要とし、その他者とのあいだにある同一の
   「ルール」(「律」)で、制限を受けない限り、現象は引き起こせない。

 2.「存在」が存在するためには、それ自体が少なくとも一つ以上の同一の「ルール」に従った二者以上の
   「部分」で構成され、自らもまた一つ以上の同一のルールに従った一者以上の他者とともにより大きな
   「全体」を構成する「部分」であることが必要条件である。

 3.「光」など、「自己」と「他者」のあいだにある「ルール」である「律」を担う「力の粒子」を、お互いに
   影響を与えることが確実な「物質粒子」は追い越すことができない。そのことで、お互いに影響与え
   合うのが確実な物質粒子どうしは、「ルール」による制限を受けずに運動することはできない。

 4.「力」はモノを「ルール」に従って組み立てて、「ルール」に従ってのみ動かす。だから、「物質」は
   「力」を加えただけで、ただそれだけで「ルール」に従って変化し運動し、その現象には必ず「規則性」
   「一貫性」「循環性」「周期性」などの「秩序」が見いだせる。

 5.自然(宇宙)の「ルール」の多くは、その適用範囲の広い「法則」と呼ばれるものである。とりわけ
   星星の世界のルール、物質の世界のルールである「物理法則」の全ては「相対性原理」(物理法則
   はどの座標系でも同じように成立しなければならない。)という「メタ・ルール」を満たしており、
   それゆえ「物理法則」は ア)観測するものとされるものとの間でルールが異なってはならない。 
   イ)物理法則は、絶対的であって普遍的である。という「人間理性」の要請を満たしたものである。
   これはまた、物理法則は、ア)「特権」や「特例」を認めないし、イ)場所と時間に関係なく、働かな
   くてはならないので「絶対性」を持っている、ということである。

 私が神秘主義者の言説を好まないのは、有益な新しい知識がないからだ。私は、「宇宙は法治フィールドで、神様は法治主義者だ!」と言っているのだから、こんなことを言った神秘主義者は過去には誰もいないから、全く新しい見解だ。それに、ほとんどの項目も神秘主義的知識のように検証できないものではなく、ポパー先生の教え通り、反証することが可能なことだから、これらはみんな「科学的見解」だ。そこで、これらの項目を検証してもらうために、次のようなことについて考えて欲しい。みなさんご自身で世界というフィールドをくまなく観察して確かめて欲しいのだ。もし、一つでもそうではないものを見つけることができたら、私の仮説は間違いだということになる。

 「思考開始」
 @ みなさんが見渡せる限りの世界の中で、「ルール」に従って構築されたものではなく、どこにも
   ルールを見いだせない存在を探す。
 A みなさんが見渡せる世界の中で、「ルール」に従って起きた現象ではなく、どこにもルールを
   見いだせない現象を探す。
 


 先に言っておこう。世界の中に、デタラメに作られたもの、デタラメに起きる現象を探せば良いだけの話だ。まぁ、ものを考えたりすることが苦手な人が多いだろうから、思いつくまま「局所的デタラメさ」や「概念的デタラメさ」について、ちょこっとだけ書いておこう。デタラメなものがないわけではない。数学の世界では、ルールを見いだせない、規則性を見いだせない数である「無理数」がある。円周率やルート2など、規則性を見いだせないので丸暗記しなくてはならない数がある。生物では、有性生殖の際の遺伝子交叉は、デタラメに行われる。とはいえ、全くルールによる制限がないわけではないが、基本的にはランダムプロセスだと言われ、それゆえ同じ遺伝子からも違う容姿や体格の兄弟姉妹が生まれてくる。また、扁桃葉で行われる免疫システムの構築の際にもランダムプロセスが取り入れられている。多種多様な個性ある他者のタンパク質や細菌などから「自己」を守るために、抗体はランダムに作り出されて、作り出された抗体は「自己」と「他者」の区別を「学習」させられる。そして「学習」できなくて「自己」を攻撃する抗体は「淘汰」される。物質の運動に制限を与えて「秩序」ある状態を作り出すには、「力」を加えれば良かった。「力」を加えられなくて「熱」として振舞うモノは「遮蔽」によって制限を与えることができ、「秩序」を取り出すことができた。「生物」には、もう一つ「淘汰」という制限を加える方法があるのだ。免疫システムは、この「淘汰」を使って、「秩序」を作り出している。
 私の持論は全て、独善的なものではない。私は科学主義者だから、自分の見出した知識も可能な限りの検証は行っている。ただ、自分の脳裏に想起される疑問が、他の誰の脳裏にも想起されることはないようなので、自分の疑問を自分で解き明かし、自分で検証することしかできないのが辛いところではある。(宇宙のメカニズムを見出して、それが良くできているかどうか確かめるなんて発想は、変人にしか起こらないようだ。私は、未だにこの宇宙がどんなフィールドであるかなんてことを考えようとした人に会ったことはない。)

 物理法則は「相対性原理」を満たしていて、絶対的で普遍的であるのだから、物理法則という「ルール」の適用を受けない存在が生まれることもそんな現象が起こることもない、のは当然のことだ。だから、あくまで何が生まれようと何が起ころうとも、この宇宙にある全ての存在とその変化や運動である現象は物理法則という「ルール」によって制限を受けており、従って「全くデタラメ」に生まれるものもいなければ、全くデタラメな現象が起きることもない。熱力学や統計力学の中に頻繁に現れるエントロピーという「デタラメさ」でさえ、その実、経験則や統計則ではあるけれども、ルールに従っていることはわかっている。でないと、そもそも「学問」として熱力学や統計力学なんぞ存在しない。つまり、単純に考えれば、名前を付けられているものは全て「一貫性」があるから、名前を付けることができるし、そこから知識を見いだせるものは全て「一貫性」があるから知識を見いだせる。そして知識の中にある「規則性」や「周期性」を見いだし、「ルール」の把握に務めるのが「理性」の役目だ。だから、この宇宙では(ということは世界は全て)「ルール」に従って制限を受けたもので構成され、「ルール」によって制限を受けた現象しか見いだせないということだ。’「カオス(混沌)」にもルールはあって、「カオス理論」と呼ばれている。また、「自己組織化」という概念は、「自然」が「ルール」の構築を「自然に」行うことを示唆している。物質でさえも、構造の安定性を求めて、秩序のある状態を構築しようとするのかも知れない。))

 だから、「宇宙」を理解するには「ルール」を理解すればいい。「ルール」という「自由」を制限するものについて、「ルール」という最も多くの「秩序」をもたらすことができるものについて「熟考」すれば、宇宙は見えてくるのだ。
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