T 私たちがそこに住まいするフィールドとして宇宙を理解する
 
 1. 宇宙とはすべてを含むすべてである
  某公共放送が、最近「宇宙の渚」というタイトルでドキュメンタリー番組を放送していた。宇宙空間と地球の大気圏との境を「宇宙の渚」と呼んで、そこで起こる様々な現象を国際宇宙ステーションに乗った日本人宇宙飛行士古川聡さんが、高感度カメラで撮影するというものだ。私自身、宇宙に興味を持って二十数年探求してきたから、番組の中身や素晴らしい映像の数々には何の文句もありはしない。それどころか、HDに録画して何度も楽しませていただいたぐらいだ。しかしながら、タイトルは全く良くない。これでますます一般の人々が「宇宙」という言葉を、「地球の大気圏を離れた、星の瞬く真空の、漆黒の空間」だとイメージしてしまった。そして、私たちの星地球と「宇宙」の間には「渚」と呼ばれる境界が歴然とあることにもなってしまった。もとより、一般の人にとっては「宇宙」というと、この場所のイメージが強い。 宇宙開発と言えば、この場所の開発のことだし、宇宙船といえば、この場所を旅する船のことだ。「宇宙」という言葉が地球の大気圏を離れた漆黒の空間だとすると、「すべてを含むすべて」であるものを何と呼べば良いのであろうか? 地球を含むすべての空間と時間はどう言えば良いのだろうか? 「世界」という言葉を使うと誰でもが地図や地球儀を連想して、それは「国」の集まりだと思われるであろうし、私がずっと探求の対象にしてきたのは、すべての存在をその空間の中に包含し、すべての現象を時間経過の内に包含する「全時空」としての「宇宙」なのだが、困ったことにタイトルに「宇宙」という言葉を使っただけで、「あ〜、星の話か、云々」になってしまうのだ。
(私たちは、世界全体を表すときにも、星の世界を表す時にも、「宇宙」という言葉しか使っていないのであるが、欧米では(すべてを含む全てであり、宇宙の持つ全ての時空を表す言葉は「Universe」、その全体的な特徴から名付けられた「Cosmos」、そして地球の大気圏を離れた場所を「Space」と呼んでいる。)
 「あなた、お住まいは?」と聞かれたら、国名や都道府県名あるいは都市や町の名前を答えるのが普通であろう。少し、SFチックにものを考えれば、私たちは天の川銀河の辺縁部にある太陽系の第3惑星、地球に住んでいるともいえるであろう。しかし、どこに住んでいようが、全ての居住地を含み、全ての存在を含む最も大きなフィールドが一つだけ存在するのだ。それが「宇宙」(Univeresu,Cosmos)なのである。

 「私たちは宇宙に住んでいる。」という全く疑問の余地のない当たり前のことは、しかしながら誰にもこの事実が意識されることはない。「宇宙」は「地球」とは違う場所であり、ほとんどの人にとってそれは星空を意味しているからだ。だが、私たちの居住地のある星「地球」は「宇宙空間」に浮かんでいる(存在している)ことは紛れもない事実なのだから、私たちが宇宙に住んでいることもまた事実なのである。従って、私たち人間が属するもっとも大きなフィールドの名前が「宇宙」」であることもまた事実なのだ。だから私たちはみんな「宇宙の存在」だし、私たちの眼前で起こる出来事の全てが「宇宙で起こる現象」である。しかしながら、この事実とは裏腹に、私たちは、この自らが住まいするフィールドとしての宇宙についてほとんど何も知らない。私たちは今、(主に科学者によって)この宇宙について少なからず知るようになった。しかし、科学者でさえ宇宙について知ることはまるで他人事のようで、まさにそこが自分たちが住まいし、そこで生活するフィールドである、と言うような認識はないようなのだ。
 私の探求は、まさに「私自身が宇宙の存在である。」そして「そこに住まいしている。」という単純な事実に端を発していて、「私はいったいどんな場所に生まれ、どんな場所で暮らしているか?」「そこでは、何があって、何が生まれて、どんな変化をしているのか。変化には方向性があるのか。そこにはどんな工夫や細工が施されているのか。そしてそれは良くできているのか、それとも稚拙なのか。などなど」 とにかく、私は、何も知らない。全く何も知らなかったのだ。自分の生まれた場所について知らないなんて、実にお粗末な話だ。箸にも棒にもかからない、全く話にならないことだ。だから、放っておいて済まされるようなことではないな、と私は考えたのである。

 私が、「宇宙」というフィールドを自分がそこに住まいする場所として理解しようとしてから、20年の月日が過ぎた。宇宙そのものの理解に関しては、物理学という宇宙を理解するには欠かせない学問が、「学」の名にふさわしいほどに精度の高いものに仕上げられているので、さほど時間はかからなかった。実際には、探求を開始してから5年後ぐらいには、自分の頭の中の宇宙のジグソーパズルはかなり出来上がっていて、完成したらそこに何が書かれているかについて見当がつくぐらいにはなっていた。その時、頭の中のジグソーパズルが出来上がったら書こうと決めていた本の表紙だけはペイントソフトで作っておいたほどだ。その世界初の本のタイトルは「簡単な宇宙の作り方」という。大それた本のタイトルだと思うかもしれないが、そんなことはない。宇宙は意外にも非常に単純なメカニズムでできているのである。だから、実際に作ることはむつかしくても、作れるほどに理解するのは簡単だ。事実、今の物理学者はせっせと星や銀河やブラックホールなんかをコンピューターの中で作っているのだから、人はもう宇宙を作れるほどに理解していることは間違いないのだ。

 宇宙について知ると、いったいどのようなことがわかるのだろう。例えば、その一つに宇宙も人間も、ものづくりの方法は同じである、というのがある。宇宙はその膨大な時空の中に、幾多の星や私たち人間のような生物を創ってきたと思われるのだが、実は宇宙と私たち人間は全く同じ方法でものを創っているのだ。言葉をかえれば、私たち人間は、「宇宙の存在」であり、そうであるからこそ、宇宙と同じ方法でしかものを創ることができないのだとも言える。ものづくりだけでなく、「秩序」の構築の方法も宇宙と人間は同じだ。「社会秩序」は人間社会にとってなくてはならないものだが、宇宙(自然)にある秩序もまた私たち人間と同じ方法を用いて構築されている。
 人間そのものを探求して「人間全体」を理解することは、未だに「科学者」が直接手を出したがらないほどに複雑で難解だ。だが、物理学をはじめとする自然科学を通して「宇宙」の全体像とそこにあるメカニズムを理解するとき、難解であった「人間全体」もまた見えてくるようになるのである。なんのことはない、「人間」は宇宙が作り出した宇宙の存在なのだから、作り出した方を理解すると、作り出された方のものも理解できるようになるのは当然のことだ。だから、これから先の話の多くは、宇宙の存在としての「人間」の話でもある。
 そう言う意味では、これから始まるのは、「壮大な自分探しの旅」だとも言える。「宇宙は全てを含む全て」であり、自分自身もそこに含まれているのだから、宇宙について知ることは自分自身を知ることでもあるのだ。宇宙と言う全体が持つ構造やメカニズムを知ると、私たち人間もまた同じ構造やメカニズムで作られているのだから、当然自分自身のことがわかるようになる。そして、さまざまな人間の行為でさえ、宇宙のメカニズムと関係していることもまた知ることになるだろう。
 物理学や自然科学の諸分野によって描き出されつつある宇宙というフィールドの全容、宇宙に関する知識は、まさに私たちがそこに住んでいるというとても単純な理由で、人間にとって必要欠くべからざる知識である。それゆえ、この宇宙を、「宇宙とは、すべてを含むすべてである」とし、かつ「自分自身がそこに住まいする最大のフィールド」だとしてこの宇宙のルールやメカニズムを理解して欲しいと思う。
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